カンクリ族とテルケン・ハトゥンは悪ものなのか問題

歴史
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ジャラールッディーンについて調べていると、避けて通れないカンクリ族祖母テルケン・ハトゥンのわがままきままぶり。

ドーソンの「モンゴル帝国史」によると、ホラズム王国を滅ぼしたまさに国賊・一級戦犯扱いですが、本当にそうなのでしょうか。

カンクリ族とテルケン・ハトゥンとは

カンクリ族とは当時アラル海沿岸を中心に活動していたトルコ系民族です。

その点、ホラズムの王族も同じトルク系民族。

ただし、ホラズムの王族は都市貴族化して何代も経っており、それに比べるとカンクリ族は遊牧騎馬民族らしい性質を色濃く残していたようです。

テルケン・ハトゥンは、カンクリ族からホラズム国王アラーウッディーン・テキシュに嫁ぎ、次王アラーウッディーン・ムハンマドを産みました。

当時、テキシュは弟のスルタン・シャーと王位相続戦を繰り広げ、苦境にありました。

そこで、強いカンクリ族を頼ったのですね。

これがかなり功を奏したようで、やがてテキシュはホラズム王国を再統一し、その領土は飛躍的に広がります。

そして、図に乗った(?)カンクリ族とテルケン・ハトゥンによる悪行三昧が描かれ始めます。

『モンゴル帝国史』に描かれたカンクリ族とテルケン・ハトゥンによる悪行三昧

カンクリ族は王国内でも構わず略奪行為。それでも誰も咎められません!

テルケン・ハトゥンは大守銭奴宰相ナースィルをとても気に入り、ナースィルがあからさまな賄賂事件で王アラーウッディーン・ムハンマドに訴えられても、あっさりもみ消す始末。

そして、テルケン・ハトゥンはカンクリ族の血の薄い孫ジャラールッディーンを嫌っていたためか、皇太子にはテルケン・ハトゥンの縁者を母に持つ年少のウズラークが立てられます。

さらに、テルケン・ハトゥンはそんな国母といってよい地位なのに、モンゴルとの戦争中留守を預かっていたクフナ・ウルゲンチの町を見捨てて、イラン方面に逃亡してしまいます。

また、モンゴルとの戦争の発端となった商業使節団を大量虐殺したオトラル長官イナルチュクもカンクリ族です。

ドーソンの『モンゴル帝国史』を読む限り、カンクリ族とテルケン・ハトゥンは決定的な国賊です。

しかし・・・

彼らがそうなったのはこの人も原因では?

中央アジアの武田信玄アラーウッディーン・ムハンマド

ホラズム王国第六代国王アラーウッディーン・ムハンマド

ドーソンの『モンゴル帝国史』を読む限りは、カンクリ族と母テルケン・ハトゥンにいいように弄ばれているようです。

が、このおっさん、どうも相当の曲者です。

というのも、王国を盛り立てて来た他部族に恩を仇で返すような征伐行為を頻繁に行います。

この辺は民族動乱の中央アジア。

日本なら戦国時代並みか凌駕する強烈な生存競争をしのばせます。

特に父テキシュを助けたキプチャク、西遼との開戦。

ゴール朝の残存政権も倒し、カリフのアッバース朝にも攻め込みました。

アラーウッディーン・ムハンマドは相当の野心家であり、「自分が不利なうちは平身低頭して強いものに援助を乞う。だけど、チャンスがあると、恩義を省みず襲い掛かる」。

こんなマキャベリズムの権化です。

お陰でアラーウッディーン・ムハンマドは一代でイラン・イラク・アフガン方面に広大な領土を獲得いたしました。

日本史の武田信玄と似ているところがあります。

部下や領民を大事にする素晴らしいリーダーでしたが、反面、隣国には三国同盟を反故にするなど、仁義なきところがあまりに多い人でしたから。

息子の勝頼がよく暗愚の扱いを受けますが、正直あれだけ隣国への信用を落とした父の跡を継ぐのは大変だったと思います。

そう、カンクリ族やテルケン・ハトゥンというのは織田氏や諏訪氏、北条氏、今川氏と立場がよく似ております。

王国は大きくなるばかりなのに。。。

自分たちの力もしっかり追いついていかねば。。。

じゃないと、次は自分たちが狙われる。。。

それで、騎馬民族的な様々な示威行為や、ごり押しといえる政治運動を行ったのではないでしょうか。

無論、それでもきついものはきついですが。。。

そして、強大なホラズム王国がなぜあまりに呆気なく滅んだかもわかるような気がします。

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