文学ではなぜ農民を積極的に扱わないのかの不思議について

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わが国でもほんの数十年前まで圧倒的多数であったはずの農民

そして、農業とは文明の象徴。

なのに、古今東西でなぜか文学の主要人物として扱われにくい。

なぜ・・・?

と、とても不思議に思い考察してみました。

文学における農民の扱いの現状

まったくおかしなことだと思うのですが、よく考えると、農民が文学で主要人物として扱われるケースは少ないです。

当座に思い当たるところでは、

◆遠野物語

◆傘地蔵

◆大地

など。

ジャンルは違いますが漫画でも、

☆カムイ伝

☆墨攻

以外ではあまり見かけません。

古いところでは『のらくろ』でも『ディズニー』でも、軍人とか、妖精のような生き物ばかりです。

これに比べて、古今東西の文学で主要登場人物として扱われるほとんどが

〇神

〇妖精

〇王侯貴族、聖職者、軍人

〇市民、商人、サラリーマン、アルバイト、公務員、学生

あの江戸時代ですら、近松だの、西鶴だの、馬琴だの・・・

なぜか、農民は蚊帳の外です。

中国でも、『水滸伝』では農民はかなり端っこの役割です。

『三国志演義』では劉備は百姓出身ですが、ほぼほぼ軍事と政治活動ばかりしております。

『封神演義』にいたってはよくわからぬ神様・仙人たちばかりが活躍しております。

三大大衆文芸ですらなぜかこう。

魯迅の『阿Q正伝』でも、主人公はフリーターみたいな感じです。

また、漁師、猟師、牧人なども、『老人と海』とか『白鯨』とか『スーホと白い馬』など、わりと扱われたりします。

農民が文学で扱われづらい理由の考察

理由はいろいろあるでしょうが、そのひとつに、私はどうもこの不自然は文学というものの特殊性に起因しているものと考えます。

というのも、文学というのはとことん人間の心情に寄り添ったもの。

が、農を営んでらっしゃる方というのは、これに比べて、“自然”というものを相手にする要素が多分に濃厚です。

土、風、水、・・・などというものが当たり前に密接で、それらとの会話がグンと増えます。

それに比べると、上で紹介した多くの職業は圧倒的に人間と向き合います。

そんな“人間宇宙”という特殊空閑における人間のどうしようもないやるせなさ。

その中でも特に特徴的なのは“身分”“金”など。

まさに人間が人間のために創り出したもの。

シェークスピアや夏目漱石などはそんな話ばかりと言えます。

とはいえ、農民の世界とてやはり文学に満ち溢れている、と私は思います。

また一方で、いかに文学とは言え、人間の世界ばかりでなくてもいい、と思います。

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