清って、結構人道的な王朝だな・・溺女の禁令について

歴史
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只今、中国と言えば、人口13億人の大人口国家として知られております。

そんな中国史において、人口の画期、大爆発が起こったのが清。

税制の変化や、じゃがいもの流入などが大きな原因と言われますが、まだありました。

そのポイントは溺女です。

溺女ってなに?

溺女という言葉を知っているでしょうか。

漢字を読めば、おぼれる女。

色恋に溺れている女性の事を云うのでしょうか?

いえ、違います。

実は、昔の中国では、特に女児を、口減らしとして殺してしまう習慣が割と一般にあったのです。

きっと、嬰児を水に流したりしたから、溺女というようになったのでしょう。

ちなみに、男児なら溺児といいました。

清の順治帝、溺女禁令を発する

引用wikipedia順治帝

順治帝(1638~1661)とは清の第3代皇帝です。

5才の時、帝位につき、彼の在位中に清は山海関(万里の長城の東の端)より内側、つまり古来中華の領土に入り、中華王朝明は滅亡しました。

そんな順治帝は、中華で溺女の風習があることを知り、驚いた、ようです(そりゃそうだ)。

そこで、ただちにこの風習への禁令を発します(その後、清は一貫して溺女禁止の態度を取り続けます)。

順治帝の死後、清は三賢帝(康熙帝、雍正帝、乾隆帝)の最盛期を迎え、中華の人口は飛躍的に爆発します。

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