本能寺の変の前日と当日の気象と暦に関する実は?

歴史
スポンサーリンク

本能寺の変が起こったのは天正十年(1582年)六月二日の未明ごろです。

実はこの日、とその前日というのはそもそもが結構運命的な日取りでした。

あまり知られていないその気象の事実を紹介しましょう。

本能寺の変の前日は日食が起こっていた

実は、本能寺の変の前日、京都では6割の欠ける部分日食が起こっておりました。

当時としては日食は不吉の兆候。

ただし、実はこの日京都では雨が降っておりました。

特に朝ごろはかなりの大雨だったようです。

そのため、日食は確認できず

もし、確認できていたら、「出征は不吉だ」として、何か変化が起きていたかもしれません。

そうすると、本能寺の変は起こっていなかったか、あるいは、まったく違った展開になっていたかもしれません。

皮肉なことに、雨は弱まり、夜にはすっかり晴れていきました。

そもそも出征が夕方からっておかしくね?

当時、丹波亀山(今の亀岡)からの明智軍の出立は夕方午後四時ごろ(申の刻)から。

すでに、在軍の将士たちはみんな「なんで?」と思っていたはずです。

なぜなら、中国への大軍1万3千の出立がなぜ朝堂々とじゃないの。

いくら朝、大雨だからって・・

いちいち夜に老の坂の山道をこそこそ行軍する意味っていったい?

本能寺の変の当日は闇夜だったの?

ここでクイズです。

本能寺の変が起こった日は闇夜だったのでしょうか。

・・

・・・

正解は闇夜です。

では、なぜ闇夜とわかるのでしょうか

・・

・・・

当時の公家の日記に闇夜と書いていたから。

いやいや、そういうことではありません!

この日は絶対に闇夜だったのです。

別段、たいそう曇っていたわけではありません。

正解は6月2日の未明だからです。

つまり、旧暦の6月1日は朔の日です。

月が出ていません。

織田信長としてはこの日に、わずかな供回りと本能寺にいました。

しかも、嫡男信忠もすぐ近くの妙覚寺(本能寺も妙覚寺も今と違う場所にあります)に寝泊まりしていた、というのはあまりにもの不幸です。

逆に、明智光秀とすれば、「これは天のおぼしめしだな」と思ったでしょう。

京都でオーロラ

当日・前日ではないのですが、実は、この日を少しさかのぼる天正十年三月八日の夜十時ごろ、近畿では赤気(オーロラ)が現れました。

東の空が明るくなり、安土城が恐ろしいほどに赤く染まった、とルイス・フロイスは書いております。

またその数日後には隕石が落下しました。

さらにこの年は世界的にエルニーニョでした。

明智光秀関連記事はこちら

明智光秀関連記事

タイトルとURLをコピーしました