
謀反人の烙印を押され、抹殺された明智光秀とその一党。
しかし、歴史はそれで終わりではありません。
明智光秀一族、およびその家来たちのその後、そして子孫たちはどうなったのでしょうか。
娘・細川ガラシャと歴代熊本藩主の家柄
明智光秀の愛娘の一人細川ガラシャ。
才色兼備のお嬢様で、旦那細川忠興にもべたぼれされておりました。
が、本能寺の変が起こり、細川家は明智家と絶縁。
細川ガラシャは味土野の山奥に幽閉されてしまいます。
それを解かれても、細川忠興の異常に猟奇的な性格に苦しみ、また長男・次男は家のやり方に不満を持ち、出奔をするなど、苦労をします。
ガラシャはそんな世を儚み、キリシタンになりますが、世は禁教へ。
さらに天下人豊臣秀吉が死ぬと、関ケ原の戦いが起こり、細川ガラシャは旦那の敵石田三成方に攻め込まれ、自害してしまいます。
そんな悲劇の女性ですが、子孫は熊本藩主としてその血脈を脈々とひき継いでいきます。
じゃあ、あの人ってガラシャ夫人の子孫?と気になるのが、
第18代細川家当主
元熊本県知事
第79代元総理大臣
のこの人、
細川護熙さんです。
そう、この人もガラシャ夫人の血をしっかり継いでおります。
於長
細川ガラシャの子どもたちは出奔した長男・次男以外にも苦労した人が多いです。
その中でも長女の於長(おちょう)。
於長は前野景定という大名に嫁ぐのですが。
前野景定の父親は前野長康。
豊臣秀吉を若い頃から支えた川並衆の頭目核の一人です。
これで一生安泰のはずだったのですが。
前野景定の主は豊臣秀次。
つまり、秀次は豊臣秀吉に妙ないちゃもんを付けられ、家臣の景定らや親族もろとも連座切腹をさせられてしまうのです。
於長はなんとか生き残り、出家します。
多羅
細川ガラシャには多羅(たら)という娘もおります。
多羅は豊後臼杵藩主稲葉一通の妻となります。
稲葉家は後ほど紹介する春日局と血縁関係があります。
春日局
徳川家光の乳母として、家光の将軍就任になみなみならぬ尽力を果たしたこの女性は、明智家重臣斎藤利三の娘です。
たった4歳で本能寺の変、山崎の合戦があり、ほどなく父利三は豊臣方につかまり、処刑されてしまいました。
春日局はその後、母方の実家稲葉家に引き取られて育ち、やがて家光の乳母になります。
石谷頼辰と長宗我部氏
石谷頼辰は斎藤利三の兄です。
娘は四国の覇者長宗我部元親の長男信親に嫁ぎました。
信親と言えば、元親にものすごく期待されていたのに、九州戸次川の戦いで無茶な作戦に帯同させられ、あたらその命を散らしてしまったという悲劇で知られております。
さらに、信親との間にできた娘は長宗我部盛親に嫁ぐことに。
長宗我部盛親といえば、長宗我部の跡取りとして関ケ原では西軍として、大坂の陣では豊臣方の主力の一人として参戦したことで知られております。
ちなみに長曾我部元親の正妻は石谷頼辰の養父の娘。
長宗我部氏と斎藤・石谷氏が尋常ならざる血縁で結ばれていることがわかります。
確かに、この状態で、
織田信長「最近、盟友長宗我部は強くなりすぎた。成敗する!」
などと言い出せば、石谷・斎藤氏も部下想いの明智光秀も「なめとんか・・」となりますわね。
信長のたまに見せる無茶ぶり癖(徳川家康の正妻・嫡男を殺す、浅井の盟友朝倉に急に攻め込むなど)がどうも明智光秀には不吉な残像になったと思われます。
山崎長徳の子孫
山崎長徳は明智光秀の家臣です。
越前朝倉家の被官出身で、光秀の越前逗留時代に縁故があったのかもしれません。
明智光秀が亡くなってからは、柴田勝家に仕え、勝家も亡くなると、前田利家に仕えました。
気の毒に、前田家以外はすべて負ける人に仕えたことになります。
ただ、100万石前田家では厚遇され、長徳の子孫は加賀藩名門家系として現在まで続いております。
島原の乱関係者の多い明智光秀一党
実は、島原の乱を見ていると、明智光秀の関係者が実に多いです。
まず、天草のお隣で乱鎮圧の先発部隊の一員となった熊本藩は言わずもがな。
当時の熊本藩主細川忠利はもろに細川ガラシャの三男です。
そして、乱の原因になった天草を治める寺沢家というのが明智系の家臣を多く抱えております。
まず、当時天草の代官として乱で陣没した三宅藤兵衛重利は明智光秀最大の家臣、明智秀満の子どもだと言われております。
また藤兵衛は明智秀満の正妻は明智光秀の娘なので、明智光秀の孫の可能性もあります。
藤兵衛は明智家壊滅後、細川ガラシャをたよって落ち延び、細川家の家臣だったこともあります。
が、細川ガラシャが亡くなってから、細川家を出奔し、その後寺沢家に拾ってもらってから大出世していきます。
また、斎藤利三の家来であり、本能寺の変で森蘭丸を討ち取った安田国継も初代唐津藩主寺沢広高とは親友であり、寺沢家でかなり厚遇されました(8,000石、ほぼ大名並みの扱いです)。
さらに、寺沢広高の奥さんはなんとあの妻木氏。
『麒麟がくる』で木村文さんが演じてらっしゃる煕子(明智光秀の妻)の実家の家系です。
ちなみに、乱の後始末として島原に入部した山崎家盛は本能寺の変後明智家に味方した近江衆の一人山崎片家の子孫です。
現代における明智光秀の子孫
声優・ナレーターのクリス・ペプラーさんは明智光秀の子孫と言う説が有力視されております。
また、現在明智光秀研究の最前線で活躍されている明智憲三郎さんも明智光秀の子孫だと言われております。