
なぜか全国にナメられがち・・
が、ちょっと待った!!
ここは歴史上においてはかなり重要な役割を果たすことが多いです。
そんな滋賀県の歴史について振り返ってみましょう。
近畿における滋賀県の現在の立ち位置
昨年2019は映画「翔んで埼玉」が大ヒットいたしました。
が、“あそこで語られていた点”について「思い当たる節」はいろいろと多いです。
まず、「滋賀県の今」を近畿以外に住んでいらっしゃる方にもわかりやすくお伝えしなければなりません。
その上で、「滋賀県の歴史の貴重さ」をたっぷり再認識していただくと幸いです。
某市民との「いとビミョー」なる関係

▽石家●んま師匠は「八王子は東京と気温が3度違う」とおっしゃいました。
滋賀県出身、滋賀県に住んでいる、住んでいたという方なら、ひょっとするとこういう心当たりがあるかもしれません。
「ん?どっかで聞いたセリフのような・・」
そして、それを誰に言われるかというと、
某市民
つまり、どこかの都雀はんたちであらしゃいます。( ;∀;)( ;∀;)( ;∀;)
んで、
“彼ら”にとって「大津よりさらに向こう」となると、なぜかもはや“奥多摩”のような扱い・・
奥多摩はええとこやけど、そりゃさすがに・・( ゚Д゚)( ゚Д゚)( ゚Д゚)
つまり、そうなんです。
まさにそんな時、滋賀県民(ことに他府県民との接触の多い大津市民)はこの伝家の宝刀フレーズをむくむくと抜きたくなってしまうのです。
ヽ(`Д´)ノプンプン「そない言うんやったら(琵琶湖からの)水止めんぞ!」ヽ(`Д´)ノプンプン

実は「イケてる」今の滋賀県

んが、そもそも90年代ごろから、滋賀県って全国からの流入の非常に盛んな土地柄です。
ベッドタウンがあっちこっちにできて、地価の上昇値やスマホの普及率などは全国トップクラスを長らく維持しております。
そもそも、某都雀の皆さんも「気づけばこちらに移り住んでいた」というのはよくあるケースです。
ふふ・・
さて、話を戻しましょう。
滋賀県の歴史です。
滋賀県の地勢
滋賀県、つまり近江の国というのは都のすぐお隣です。
しかも、北国にも東国にも通じるまさに日本の三差路です。
なので、時の中央政権、あるいは、それと何らかの形で関わろう、またはやっつけてやろう、という日本各地の勢力に非常に重要視されることは少なくありませんでした。
実際、全国規模の戦いになると、近江にある勢力が大変重要な役割を示す場合が多いです(源平合戦・承久の乱では佐々木氏、南北朝では京極氏、戦国では六角氏・浅井氏、明智光秀による本能寺後平定戦では山岡景隆、関ケ原では京極高次、長州征伐では井伊氏、などです)。
さらに
母なる琵琶湖の漁獲、そして水運
広い平野からは農産
また甲賀や比良、伊吹などの入り組んだ山系では山の幸
こうしたとてもバラエティに富んで豊穣たる土地柄から、文明が息づきやすかったのでしょう。
滋賀県の躍動は古代史からすでに始まっていた

神話のころ、たとえば越から大和入りを果たしたあの継体天皇は生まれが高島市三尾野だと言われております。
ほか、日本の国創りに大きな功績を遂げたといわれる少彦名命(すくなひこなのみこと)を本尊とする沙沙貴神社も安土にあります。
多賀大社もあります。
白髭神社もあります。
日吉大社本宮もあります。
また、近江の国には
小野氏、犬上氏、沙沙貴氏、息長氏、といった古代豪族が多く栄えております。
そして・・
古代の滋賀県は何度も都に!
そうなんです。
滋賀県は日本の都に何度もなってます!
天智天皇の時には対新羅・唐防衛の一環として大津京に(天智天皇の味方の豪族が多かったのかもしれません。そもそもこの激動期、国内の不穏勢力もかなり怖かったはずですし・・)。
また、聖武天皇が紫香楽(しがらき)の宮を置いたことも。
大津京なんてのは壬申の乱が起こらず、政権が長期安定していれば、もっとずっと長く都を保てたでしょう。
もしそうなら、京都に都が置かれたかどうかもわかりませんよ!!!
滋賀県は畿内で何かあった時の重要な逃げ場所

で、天智天皇や聖武天皇のケースを見て何か思い当たらないでしょうか。
そう、この近江の地というのは畿内(特に京)からの逃げ場所・避難場所として利用される場合が非常に多いんです。
ほかたとえば、藤原仲麻呂が孝謙女帝政権と抗争になり、最後に討たれたのはやはり滋賀県です。
源義朝も平治の乱で敗れて京から東海道を下っております。
源義仲も京に敗れて、大津市粟津に討たれ、その近くにある義仲寺がその菩提をとむらっております。
後醍醐天皇は足利尊氏に敗れて八瀬童子らに守られ、比叡山に落ち延びております。
足利将軍義晴も細川高国に京を追われ、近江に幕府を開いております。
足利義昭も三好らの凶手を避けて、守山矢島に御所を設けました。
浅井長政・朝倉義景連合軍は織田信長に追い込まれ、比叡山延暦寺に一時かくまってもらいました。
明智光秀も山崎の合戦に敗れて、近江坂本を目指す途上、落ち武者狩りに遭いました。
みなさん、あんまり無闇にいじめると、いざとなった時、大変ですよ!!
滋賀県は歴史的大事件が結構多い!!

こういった土地柄ですので、滋賀県は歴史的大事件が結構多いです。
壬申の乱
藤原仲麻呂の乱
姉川の合戦
延暦寺焼き討ち
安土城建立
楽市楽座
大津城の戦い(関ケ原の戦いの前哨戦の一つです)
大津事件(一介の巡査がロシア皇太子を襲撃した事件です)
滋賀県は歴史的重要史跡が多い!!

こういった土地柄ですので、滋賀県は歴史的重要史跡がとても豊富です。
近江神宮
石山寺
瀬田の唐橋
彦根城
安土城跡
坂本城跡
紫香楽の宮跡
三井寺
多賀大社
長浜城
近江八幡の街並み
小谷城跡
竹生島
など。
滋賀県出身あるいはゆかり深い歴史有名人は非常に多い!!

小野妹子
犬上御田鍬(有名な遣隋使・遣唐使)
天智天皇
大友皇子
織田信長
石田三成(「理想の上司」「実はものすごくいい人」として最近全国的に支持が高まっております)
藤堂高虎(七度主を変えて立身しました。築城の名人です)
豊臣秀次(近江八幡の基礎を作ったといわれます)
井伊直弼
蒲生氏郷(豊臣秀吉を恐れさせた俊英)
滝川一益(織田軍団長の一人)
大谷吉継
淀君
江(浅井長政の三女。徳川秀忠の正妻。家光の生母)
一休宗純(若いころ滋賀県の各地に修行してました。そちらのお師匠さんに先立たれ瀬田の唐橋や琵琶湖上で身投げしようとしたことがあるそうです)
蓮如(堅田や守山などと非常にゆかりが深い人です)
中江藤樹(近江聖人とたたえられた陽明学者)
雨森芳洲(江戸中期の儒学者)
ひこにゃん(井伊2代藩主直孝が白猫に命を救われたのが由来です)
滋賀県には歴史上重要な固有の組織がこんなにたくさん!!

滋賀県には歴史上非常に重要な組織がたくさん出てきております。
たとえばこちら
国友衆(鉄砲)
穴太衆(石工)
近江商人
三井寺(延暦寺に負けず劣らずの僧兵軍団がおりました。武蔵坊弁慶はこちらの出身だと言われます)
延暦寺
堅田衆(湖族ともいわれます。一向宗に熱心に帰依してゆくようになります)
甲賀衆(忍者)
錦織(大津と長浜にその地名があります。渡来人系の職能集団が住んでいたといわれます。あの錦織圭選手はこちらの末裔だと●HKが言ってました)
江州猿楽座(近江の国は中世猿楽の中心地のひとつです。日吉神社、多賀大社はそのおひざ元としてとくに有名でした)
最後に

「そういえば、『大河ドラマ』で舞台になることが多いな」と思われる方は多いはずです。
正直、こちらでは書ききれないことがまだまだたくさん!!
一度、興味を持たれると、はまる方は多いと思います。
おいしいご当地グルメももりだくさんです!!!