孫文の大盟友梅谷庄吉の“あきらめない”名言

思想・処世術
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中華民国を建国した孫文は日本人の奥さんがいるなど、日本とはかなり密接な人です。

そんな孫文も初の挙兵から革命にはなんども失敗し、ようやく成功したのは16年後。

そのたぐいまれな不撓不屈の精神と実行力から「失敗の英雄」と呼ばれております。

そんな孫文を陰から支えた一人、日本人実業家の梅谷庄吉は「反乱分子の重要な支援者」として一度香港の事業拠点を清朝におさえられてしまいます。

梅谷庄吉はやむなくシンガポールにのがれますが、そこで当時最先端の「映画事業」に目を付けて成功させ、孫文らへのあらたな後助資本となします。

そんな梅谷庄吉の言った一言。

「災い転じて福となすぐらいの心魂が肝要だ」

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