
私は「韓国はこんなにひどい国だ」と言うつもりでこの記事を書いているのではありません(※)。
(※)もちろん不当な差別を憎みます
そもそも人間は誰にでも傷はあります。
ただ、私がこの記事で主張したいのはあくまで、「我々日本人は隣人のことをこんなに知らなかったのか」ということ。
私もこの事実をつい最近知って驚きました。
我々、日韓隣人同士、知るべきことは知っておいた方が良いかもしません。
そもそも我々はおたがいに“国民同士”ですから。
無理にまでいがみ合ういわれなどないはずです。
だれかが我々のけんかを見て、影で“ほくそ笑んで”ませんか。
韓国の地域対立とそこからの考察。
韓国内の地域対立

かなり根深い地域対立が韓国にはあります。
それが
- 全羅道vs慶尚道
と、最近薄まりつつあるとはいえ、
- 済州島への差別
実は、大阪鶴橋に有名な韓国人街もこれに大きく由来しております。
全羅道vs慶尚道の現状

引用wikipedia

引用wikipedia
今でも結婚や就職では出身地域が気にされる場合が少なくないようです。
ただ、それより明らかに露骨なのがあります。
選挙です。
こちらは第13代国会議員選挙(1988) 市・道別当選者数です。

私も初めてこれを見たときは素直に驚きました。
アメリカの共和党・民主党の地域差なんてもんじゃない・・
ちなみに、韓国では12人の大統領のうち6人が慶尚道出身です。
ぶっちゃけ、そうなるでしょうね・・
また、金大中大統領はただ1人の全羅道出身。
すでに3回大統領選に敗れていた金大中氏はもう一人の巨頭金鍾泌氏を取り込み、さらに相手与党の候補者が2人に分裂したため、勝利することができました。
そして、文寅在現大統領は慶尚南道出身の左翼系。
2017年の総選挙では左翼系の強い全羅道で圧倒。
さらに、出身の保守王国慶尚道でもかなり善戦(韓国の民政史上初の快挙です)。
韓国統合の象徴としての期待のほどがうかがえます。
全羅道と慶尚道の対立が醸成されていった過程
では、なぜここまでの地域対立が育まれていったのかを見てまいりましょう。
大きな原因は案外最近です。
朴正煕(パクチョンヒ)大統領時代。

引用wikipedia
かの人はかなり露骨な支持基盤づくりをおこなったようです。
軍事クーで政権を奪取した人なのでその辺にはかなりシビアだったのでしょう。
つまり、慶尚道への圧倒的優遇と全羅道への圧倒的冷遇です。
朴正煕大統領の在任期間と言えば「漢江の奇跡」でよく知られる飛躍的な経済発展の時期とかぶります。
で、その恩恵を慶尚道に集中的に傾けます。
また、エリートも慶尚道から集中的に登用します。
全羅道にはその真逆をおこないます(※)。
(※)実際に今の韓国では、慶尚道には大邱や釜山と言った大都市がいくらもあるのに、なぜか全羅道にはそういった都市が少ないです。
朴正煕大統領時代に、学生・市民らで一挙崛起した反政府運動とそれに対する弾圧、いわゆる光州事件が全羅道の光州で起こったのも偶然ではないでしょう。
済州島差別の歴史

そもそも済州島は朝鮮文明圏の中でもかなり独自性の強い地域です。
12世紀までは耽羅という独立国でした。
その後、高麗に組み込まれますが、13世紀には三別抄が元に対してかなり激しい抵抗をおこなった地としてもしられます。
三別抄が鎮圧されてからは、元の馬の放牧地として大々的に利用されるように。
李氏朝鮮時代からは主に左遷地・流刑地として、中央からは隔絶され、また打ち捨てられてゆきます。
平安貴族が遠国に下向するのをものすごく切ながったように、済州島行を命じられた官吏たちもかなり絶望し、中央政府の許可なく勝手に帰ってしまう人もいました。
平安貴族もそうでしたが、下向後、当地を豊かにしよう、などと建設的な施政をこころがけるような殊勝な官吏もまず現れることもなく、もともと土地が痩せている上に搾取だけはきっちりされるということに。
そういえば、平安貴族も地方赴任で似たようなことをしていた人が目立ちましたね。
基本的に朝鮮王朝は平安王朝と似ているところが非常に多いような気がします。
おかげで、当時の済州島はあまりに貧しく盗むものがないため、「物乞い」「泥棒」「大門」三無の島に。
・・
朝鮮王朝末期には民衆反乱が続発。
日本領になってからは、日本に移住する人が急増します。
一時は人口の1/4が日本に移住しました。
そして、朝鮮半島とともに日本から解放されて間もなくの1948年当地で大変な事件が勃発します。
済州島四・三事件です。
韓国(当時はまだアメリカ軍政統治です)でも共産主義・資本主義両イデオロギー対立が非常に先鋭化していたこの時期、元来自立色が強く、また、左系よりの土壌です。
アメリカ軍政への不満が渦巻き、一部民兵化して警察署や右翼系の要人宅を強襲。
これに対し、韓国軍は「赤狩り」の名目で大々的に鎮圧を開始。
村々を焼く熾烈な焦土作戦、そして、相手は老若男女を問わぬ残虐行為の巷となり、終わってみれば島の人口の1割近い2万5千~3万人の犠牲者を出す始末と相成りました(※)。
(※)なおこの事件に際して、全羅南道にある麗水・順天の十四連隊が政府側の出動要請を拒否して叛乱。こちらは右翼側への狼藉で多くの犠牲者を出しましたが、やがて韓国軍によって制圧されました。
大阪の鶴橋は有名な韓国人街ですが、実はその大部分がこの時の動乱から逃げてきた方とその子孫の方によって形成されているのですね。
私はこの事実を知らなかったので驚きました。
なにせ“解放後すぐ”に日本に大挙してる韓国の方々。
私は日本の伝統的韓国人街は“解放前”に来日した人たち由来ばかりだと思ってました。
こういった複雑な歴史経緯があって、今なお韓国内では済州島出身者は差別にさらされることが少なくありません。
韓国は職業による分断もある
そして、韓国はよく知られている通り、国内対立は地域だけではありません。
職業によるものも今の我々日本人から見れば色濃いものがあります。
そう、韓国は貴族の両班がその長い歴史にわたって社会に大変に強い影響を与え続けておりました。
そのため、韓国内では、両班から見て蔑みの対象となる職業は今なおもって、差別の対象となりやすい現実があります。
そのため、韓国では日本に比べて老舗が驚くほど少ないです。
料理屋や職人などは日本のように憧憬の対象とはなりづらいのですね。
実際、韓国では高度経済成長の60~70年代こういった蔑みを込めた言葉が流行っておりました。
◆コンドリ(工場で働く人)
◆ノガダ(日雇い労働者)
◆工スニ(女工)
◆食スニ(食母)
◆車スニ(女車掌)
韓国は今でも大変な受験戦争で知られておりますが、なぜそうなるかがしのばれます。
そして、南北分断
さらに、言わずとも知れた南北分断。
1950~53年の朝鮮戦争では、南北合わせて400万人、国民の1/5が犠牲に(※)。
(※)ちなみに第二次世界大戦における日本の全犠牲者数は300万人といわれております。
かほどの壮絶な争いだったのですから、生存者たちの負った“ひずみ”は私らにはあずかり知れぬものがあるかもしれません。
あれから70年経ってはいますが・・
そして、北朝鮮にも独特の身分制度があります。
さらに、中国満州に暮らす朝鮮族の方が少なくないのも忘れてはなりません。
しかし、そこにある“民族国家統一”の悲願。
特に最近の韓国の指導者たちが当然のように「反日」をカードとして繰り出してきますが、敢えてそうするのは「保身」だけではないような。
健全な日韓唇歯を実現するには、どうも“その辺”に何かありそうです。
筆者が体験した韓国
私は若いころよくアジアを旅していたこともあり、韓国の人ともいくらか交わる機会を得ました。
その個人体験からすると、とてもいい人が多かったです。
そりゃ奥深くに抱えていたものはあったかもしれません。
とはいえ、よくマスコミなどで報道されるような“偏狭さ”に出くわすことは至極稀でした。
ある人はただの行き当たりで出会っただけなのに無償でいろいろ観光案内してくれました(慶州)。
またある人は、日韓ワールドカップで韓国がベスト4まで勝ち進んだのはどう見てもまぐれで、それより明らかに日本の方が強かったよね、とにこやかにおっしゃってました。
特にこの男性とは数日、旅先で部屋をシェアする関係になりました。
非常に友好的な方で、またたのもしく、こちらが世話になりっぱなしでした(-_-;)
あちらの方は、男性が男性らしく、また、女性は素朴な魅力を存分に持ち、私はかなり好感を持ってます。
あちらの料理はやっぱりめちゃめちゃ癖になる美味さですし、映画は見ごたえがあるものが多いですし。
日韓なんとか仲良くならないものでしょうか。
現実的に見たって、そうでないとあの忌まわしいどこかの国々の独裁系政府の横暴をこの東アジアにより広く許すことになってしまいます。
私は政府への文句も言えなくなるような社会体制はできれば願い下げです(まあでもあんな糞政府だから独特の打たれ強さとおおらかさと人情の厚さを持つ国民性になったのかもしれませんが)。
日韓の国民のほとんどはそれを望んではいない、のでは。