
……(略)……ああ、どうやら俺の目の好奇心は、まちがえて連中の偽善の中に飛び込んでしまった。おかげで俺は連中の幸せがよく理解できた。日当たりのいい窓ガラスのところで、ハエみたいに飛んでいた。
そこには、善意はあるが、それと同じ量の弱さがあった。正義と同情はあるが、それと同じ量の弱さがあった。
連中はお互いに、まるくて、正しくて、親切だ。それは砂粒がまるくて、正しくて、ほかの粒に親切なのに似ている。
……(中略)……
だがそれは「臆病」ということだ。「徳」と呼ばれているが。
……(中略)……
連中にとって徳とは、人を控えめにして、飼いならすものである。この徳によって連中は狼を犬にし、人間を最高の家畜にした。
「あたしたちが座る椅子、真ん中に置いたんですよ」---そう言って、連中はにっこり笑う。---「死にかかってる剣闘士と、喜んでる豚との、ちょうど真ん中に」
しかしそれこそが、ーーー凡庸というものだ。中庸と呼ばれているが。
引用ツァラトゥストラ(下)ニーチェ著、丘沢静也訳、光文社文庫ーーー人間を小さくする徳より
私の感想とすれば、
「おい、それが人間というものだろう」
まして、当のニーチェ自身がものすごく人間らしいキャラだったので。
ええ、例えば普通に10歳以上年下20そこいらの娘(ルー・ザロメ)に手を出そうとしました。
この時のニーチェの数多い“ラブレター”からは『ツァラトゥストラ』のようなロックスター丸出しの雰囲気を全然感じさせません。
むしろ、「何とかこの娘をものにしたい」というどこまでも普通のロリコンおやじのそれがあまりにありあり・・。
実にちまちまと・・。
また、恋敵であり友人でさえも自分の恋の成就のために利用しようとする陰険さもしっかり併せ持っておりました。
高橋留美子さんの漫画にでも出てきそうななかなかシュールなキャラクターの持ち主です。
まあただ、ニーチェは彼女に振られてふっきれてしまうのですね。
で、臆面もなく超人なる存在を目指すよう仕向けてまいります。
なんだかこの文面を読んでいると人間性の否定=文学性素養なしにパッと思ってしまったのですが、ちょっと思い返してやっぱりハッとさせられました。
こんなことをここまであけっぴろげに書けてしまう。
だから好きなんです。
やっぱりこの人は哲学者というより偉大な芸術家です。