
コロナの世界の感染者数は延べ1億人を、死者は200万人を越えました。
経済では、新たな変革の大波が訪れ、また、貨幣・国債の大量発行が市場に多大な影響を与え始めております。
雇用では世界的に失業者が急増し、政治では盤石だった政権がいくつも崩壊し、一方で思わず浮上した政権もたくさんあり、国際情勢も混沌としてまいりました。
やっぱり疫病は人類社会に大変な影響力を持つようです。
そこで、過去実際に疫病が歴史に大きな影響を与えた事例についてまとめます。
まさに「その時歴史は動いてしまった」です。
疫病が歴史を大きく動かした12の事例
①民主制アテネの落日

ペルシア戦争に勝ち、全盛期にあった紀元前5世紀の民主制アテネ。
しかし、それを警戒するスパルタとの間で戦闘の火ぶたが切られたのが紀元前431年。
この時、アテネの敗北の大きな原因の一つと言われるのが、アテネでの疫病の流行です。
アテネでは1/3が死亡。
さらに指導者ペリクレスは罷免され、自身もこの疫病で亡くなってしまいました。
結局、国力では優勢だったアテネはスパルタに敗北。
ギリシャ内の覇権はこれを契機に移譲されることになってしまいました。
②東ローマ帝国栄華の終焉

3世紀以降、混乱と分裂基調に歯止めがかからないローマ帝国。
ですが、その流れをくむ東ローマ帝国に6世紀立った英君ユスティニアヌス帝によってたちどころに息を吹き返します。
地中海沿岸一帯を次々と席巻し、かつてのローマ帝国全盛期に迫る勢い。
が・・
その晩年は苦境です。
突如ペストの大流行により、帝国内の人口はなんと半減。
さらに彼の死後間もなくイタリアをランゴバルドから失陥するなど、その栄華はあまりに儚いものになりました。
③大仏建立

672年大海人皇子が弘文天皇(大友皇子)を壬申の乱にて破り、以来大海人の直系が天皇位を継承。
その流れが続いていたのですが・・
聖武天皇の在位。
よく知られた長屋王の変や、藤原広嗣の乱、だけでなく世は天災や天然痘の流行にもさいなまれておりました。
あの藤原四兄弟もみな天然痘で瞬く間に命を奪われております。
そこで、聖武天皇を頂点とした政権が起死回生に思い立ったのが大仏建立。
安倍さんとしては何としても「オリンピック」や「万博」まで持って、「不況・停滞・疫病打破の象徴」として成功させたいところです。
ちなみに、天武(大海人)の皇統は聖武天皇の娘称徳天皇の代で断絶してしまっているのが気になるところです。
④祇園祭の始まり

平安遷都以来、マラリア、天然痘、赤痢、コレラなどが次々発生。
また、富士山の噴火(864年)、貞観大地震(869年)などの影響もあり、疫神・怨霊を鎮めるため始まったとされます。
祭りを行う八坂神社の守護神は防疫の牛頭天王です。
⑤ルネッサンス

ゲルマン民族大移動以来の中世ヨーロッパと言えば、キリスト教会の圧倒的な強さが鮮烈です。
が、それが揺るがす大きなきっかけが度重なる「ペストの流行」です。
ものすごい感染力と致死率で西ヨーロッパでは人口の1/3がなくなった、と言われます(ペストはもともとアジア発と言われます。当然、アジアでもかなりの猛威を振るっております)。
特に象徴的なのが、ボッカチオの『デカメロン』。
そもそも若い男女10人がペストの流行を逃れようと別宅に集まって暇つぶしに「なんかおもしろい話ねえか?」とワイワイ空騒ぎしたのが話の大筋です。
教会はあまりに過酷な現実の前に無力さを露呈し、それが人々の知識欲求・芸術欲求の枠を踏み越えさせるきっかけとなりました。
⑥朱元璋の台頭

世界史を見ていると、どんびきしてしまう覇者が続々と現れてまいります。
中国の三百年帝国明の高祖朱元璋はまったくもってそういう代表格です。
乱世のうちはとことん平身低頭し、だれにも「いい人」だったのですが、覇者に変わったとたんに、どえらい本性をむき出しにします。
それまでの功労の元勲たちのほとんどを自分とその一統を脅かす存在として容赦なく粛正。
また粛清。
さらに粛清です。
明代は300年も続いて人口がほぼ増えなかった(戸籍上)のにそのあとの清代では特に三賢君(康熙帝・雍正帝・乾隆帝)のころから人口爆発をしているのですから、まあ民にとってもなんともな治世が思いやられます(朱元璋の墓はもう15世紀だというのを度外視した圧倒的でかさ。東京ドーム1.5個分。聖帝〇ウザーばりに「他人に対しては愛も情けも要らぬ!」という徹底ぶりです)。
この外道が社会の最底辺から立身を興すきっかけとなったのがいわゆる13世紀の危機です。
ちょうどこのころ世界的に気候が寒冷化し、疫病(特にペストが深刻)が流行り、飢餓が蔓延しておりました。
つまり、その時の大覇者モンゴル帝国の支配が揺らいでいたのです。
まさに時代が時代、朱元璋は極貧農の生まれ。
幼いころから奴隷同然、時に物乞いとしてぼろくその中になんとか生き延び、やがて紅巾の乱が勃発。
元朝の統治低下から各地で群雄が割拠。
そんな社会の混乱にあって「公平篤実」で「命知らずな勇気」、そして「いつも冷静で鋭利な判断力」で次第に頭角を現し、ついには中華の覇者に。
まあでも、この時までの我慢と憎悪と人間不信がよっぽどだったのでしょう。
はっきりと時代の申し子です。
ちなみにちょうどこのころほかの世界では、ティムール王朝、オスマン帝国、室町幕府などが勃興・台頭しております(ヨーロッパのルネッサンスもこのころです。ジャンヌ・ダルクで有名なイングランド・フランスの百年戦争もです)。
現代の我々としては、今回のどさくさにまぎれて変なのが出てこないか、十分注意したいところです。
⑦ヨーマン(独立自営農民)の発達

14世紀のペスト大流行と百年戦争でイギリスの農業人口は大幅に減少します。
そのため、荘園内の農民を確保するために領主たちは農民たちに頭が上がらなくなってゆきます(このころ、領主が農民を農奴として無理やり囲い込もうとしたため、ワットタイラーの乱が起こっております)。
こうして、地位の向上した農民たちはやがて世界に先駆けて17世紀に度重なる革命の土壌を育んでゆきます。
⑧大航海時代における先住民族の大量死

大航海時代において、列強によるあまりに悪辣な搾取は現地に大いなる災いをもたらしました。
が、忘れてならない、もうひとつの災禍、それが疫病です。
ヨーロッパ人や奴隷貿易の黒人がもたらした病原体からの疫病の蔓延。
現地人にはもともと抗体がまったくないために、瞬く間に信じられないほどの人命を奪っていきます。
キューバでは16世紀初頭からわずか50年ほどで現地人はほぼ絶滅状態に。
アステカでもヨーロッパ人が持ち込んだサルモネラ菌が500~1500万人もの命を奪い、インカではピサロの征服に先だって中央アフリカからの天然痘が現地人の6~9割を死に追いやっておりました。
⑨30年戦争、明末清初

ヨーロッパでは17世紀にもペストの大流行が起こっております。
ちょうどこのころは宗教戦争が非常に激しかった時代。
とくに有名なのがそれまで世界の覇者だったハプスブルグ帝国が疲弊し、市民国家オランダが誕生した30年戦争。
ちょうど同じころ中華でもペストで1000万人ほどが死亡し、明末清初の動乱に突入しておりました。
⑩幕末の引き金?
幕末の引き金になった原因は、
◇列強の圧力
◇江戸幕府の綱紀のゆるみ
◇武家の没落
◇天保の大飢饉・安政の大地震などの天災
などが挙げられます。
ただ、これもそのころの社会不安の大きな追い風になったのではないでしょうか。
1858年のコレラの流行です。
死者は江戸だけで2万8千人あまり。
全国で10~26万人です。
⑪第一次世界大戦の早期終結

ほんのごく短期で世界中から奪った人命の数ではおそらく人類史上最大だと思います。
1818~19年スペイン風邪の流行です。
罹患者は全人類の約3割。
死者は5千万~1億人(第一次世界大戦の死者の約3倍)。
日本だけで39万人。
そのあまりにもの深刻さに第一次世界大戦が早期終結したといわれます。
⑫狂牛病、鳥インフルエンザ、口蹄疫
いずれも21世紀に入ってから流行したものです。
特に先進国では実際にこれで死亡した人や罹患した人自体はとても少ないです。
ただ、
・個人の尊厳
・経済、社会への影響
といった観点から、大きな社会問題となりがちです。
社会の高度化、複雑化にあわせて疫病の概念・扱い方も変容されてきております
追伸
疫病の流行は誰にとってもあなどりがたい問題ですが、特に既得権益層を揺るがしているのが特徴的です。
通常ではない状態になりますので、社会層の攪拌がかなり著しくなるようです。
今頃、世界中の指導者なんかは戦々恐々、または「これがチャンス」とうかがっている人も多いでしょう。
と、1年前に書くと、その通りになってしまいました。。。
一方で、経済・雇用は冷え切っているのに、株価や仮想通貨が急騰するなど、弱者へのしわ寄せもよりシャープになってきております。
今後ますますグローバル化の本質が問われそうです。