ざわ…ざわ…『戦国賭博?黙示録』筒井順慶列伝

歴史
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ざわ…ざわ…

明智光秀最大の盟友の一人。

「洞ヶ峠(ほらがとうげ)の日和見」の逸話が有名。

ただその人の詳細についてはあまり知られておりません。

そんな、大和(奈良県)の僧籍戦国大名筒井順慶について紹介します。

そもそも筒井家とは?

大和の名族です。

大神神社神官大神氏の子孫と言われ、やがて今の大和郡山市筒井の土豪として勢力を持ちます。

やがて興福寺の坊官として、代々それを根強く保持。

源平合戦では、宇治川合戦における橋げた争い(※)で曲芸師張りの大奮戦を見せた筒井浄妙妙秀もひょっとするとこの一族かもしれません。

(※)以仁王、源頼政、三井寺勢は平家勢の追手を妨げるために宇治川大橋の橋板を取り外してしまいます。筒井浄妙妙秀は三井寺方として橋げたの上で素晴らしい軽業で敵兵をバッタバッタと斬り倒します。

戦国期に入ると、筒井順興という英傑が起こり、族閥は俄かに強勢化します。

歴史シミュレーションゲームをやり込んでいる人なら馴染みかもしれません。

統率力も知力も政治力もやたらめったら数値の高い人です。

ある時は姻戚外交を駆使し、またある時は強豪を武力で次々と打破。

さらに息子の順昭もその英邁を継いで筒井はここに黄金時代を迎えます。

が。

ざわ・・

戦国賭博?黙示録ジュンケイ

①元の木阿弥伝説

当主筒井順昭はわずか27才で亡くなってしまいます

そして、この不幸があの伝説を生みます。

どうした?

袈裟を纏った男たちが黙りこくっていたらまるで通夜。

チーーン

はっはは!会長(順昭)はまだご健在だぞ。

順昭の嫡男順慶はまだ満2才です。

まだまだ大和は愚か、畿内各地には海千山千の諸勢力がひしめき合っております。

が、筒井家にはとんでもない知恵者がいたものです。

なんと近場の寺に順昭のそっくりさんがいたので、彼を影武者に仕立て上げてしまいます。

その名は木阿弥。

彼が影武者を務めていたのは1年とも3年とも筒井順慶が青年するまでとも。

ともかく、影武者をやっている時は羽振りのよかった木阿弥もお払い箱になるとすっかり元の木阿弥に。

ただ心配なのは、後で筒井の者らに存在を抹消されるなんてことはなかったのでしょうか。

②松永久秀との死闘。それはまさに希望すべてを飲み込む沼?

奇跡なんて望むな!「勝つ」ってことは…そんな神頼みなんかじゃなく…具体的な勝算の彼方にある…現実だ…!勝つべくして勝つ…!

引用『賭博破戒録カイジ』より

と、その人が言ったかどうか知りません。

が、とことん弱肉強食であるこの戦国乱世がそんな絶好のチャンスをいつまでも見過ごすはずがありません。

松永久秀です。

当時三好の家宰だった松永は突如、筒井城を

急襲!

そして、

勝利!

奪われた筒井方だって

たとえどんなに……

不運…不幸…

不ヅキに見舞われようと…

オレは決して諦めない……!

捩じ伏せる……..!

最悪の運命….

境遇….ありとあらゆる障害……

不平…不正…

すべてを捩じ伏せ……..

オレは勝つ……..!

引用賭博破戒録カイジ第127話より

のままに抵抗!

あくまで抵抗!

そして、逆襲!

まさに泥沼の抗争へとおちいってゆきます。

③織田信長現る!

そんなさなかの永禄11年(1568年。筒井順慶満19才)あの人が足利義昭を奉じ、入洛を果たします。

織田信長です。

松永久秀は当時三好三人衆とも仲間割れを起こし、みすみす筒井など反抗勢力とまで手を結ばれ、苦境に陥っておりましたが、これを奇貨として息を吹き返します。

敵の敵は味方

余りにわかりやすい論理、なだけにその効果は覿面(てきめん)であり絶大です。

織田信長にいち早く恭順の意を示した松永久秀は以後

「大和は切り取り勝手次第」

の盟約まで取り付け・・・

まさに、

バ――カッ・・・・・・・・!

終わりなんだよ・・・・・・!

寄るべがなくなりゃ・・・・・・・・勝負は・・・・!

それが戦国の鉄則だ・・!

「夢だろ….これ….。夢に決まってる……….!」

引用『賭博破戒録カイジ』より

というジュンケイとその仲間たちの思いもむなしく、

「ところがどっこい…….夢じゃありません……..!現実です……!これが現実..!」

引用『賭博破戒録カイジ』より

もうこうなると力づくに容赦がございません。

が、どこまでも野心家の松永久秀はあろうことか大変な選択ミスを犯してしまいます。

反織田包囲網に鞍替えするも、その巨頭武田信玄が入洛途中に病死。

つまり希望が外れ、そこは死地に。

自分が撒いた死地に。

信長がこれを許すはずがございません。

そこで大和に代官として赴任してきたのが、利根・・ではありません。

織田配下でめきめき頭角を現していた明智光秀です。

ジュンケイ、この巡り巡った大チャンスを逃そうものか、です。

④圧倒的大恩人!明智光秀の登場

筒井順慶は明智光秀に取り入ります。

まさに形勢逆転!

松永久秀は途端におとなしくなり、天正4年(1576年。筒井順慶満27才)には筒井順慶は信長から

「大和一国一円筒井順慶存知」

つまり大和の国すべては筒井順慶に任せる、というお墨付きをもらいます。

⑤絶体の壁はついに崩れた!

そんな矢先の翌天正5年、彼なりに焦りもあったでしょう。

松永久秀は

この手はなんの為についている……..?

リスクを恐れ 動かないなんていうのは

年金と預金が頼りの老人がすることだぜ

引用『賭博黙示録カイジ』より

ではないですが、上杉謙信の上洛行動に合わせ、またしても信長に反旗を翻します。

当時、松永久秀は70才手前だったと言われておりますが、気持ちはいつまでもかなり若そうですもんね(余談ですが、この方は生前“性の指南書”まで著しております)。

しかし、織田軍を鎧袖一触の勢いの上杉謙信が突然国元に引き返し、松永の目算はまたしても外れます。

ただの博打好きで、しかも負けばかりが込む圧倒的債務者ぶり。

つまり世間ではこれを「敗残者」と呼び、またの名を

クズ

しかし、

それは異様な光景だった。

ただその笑いは織田や筒井らを迎え入れ祝福しようなどと言うそれではなく。

もっと別の何か。

別の何かを期待する笑い。

やや遠巻きにうかがっている男。

その黒い期待。

異様な光景。

ざわざわざわ・・

なんだヤツの顔は。

そう、松永久秀にはまだ虎の子のこれがあります。

まさに自身の革新的才覚による一世一代手塩に手塩を懸けた絶体不敗のパチンコ機・・ではありません。大和信貴山城にこもり、徹底抗戦。

周囲を織田の圧倒的大軍に重囲されても、まだまだ余裕は綽綽。

すでに周辺では丹波の赤井直正、波多野秀治、播磨の別所長治が織田に離間を表明。

ほかに本願寺も雑賀衆も毛利も足利義昭も健在なのですから、

「粘りさえすれば」

形勢はたちどころに逆転できるのです。

松永弾正久秀数え69才「なめるなよ」の不倒翁。

が、思わぬ事態が起こります。

中にいた筒井の元重臣でいつ知れず松永陣営に与していた遠藤・・ではありません、森好久が松永から本願寺への使者の役目を仰せつかりながら織田方の筒井陣に突如駆け込みます。

そこで筒井順慶に

「約束しよう。もし地に沈むことがあったら大和の蔵酒を毎月給料日に2本振舞おう」

と、説得されたのかどうかは知りませんが、森は筒井順慶に三十両という軍資金を貸すのではなく、もらい、信貴山城に何事もなく舞い戻って仕込みます。

そして、織田軍は総攻撃を開始。

しかし、甘くありません。

信貴山城の守りは依然頑として鉄壁。

いつもの通り、あまたの人々の雄々しい挑戦に寸とも揺るぎません。

ただ敵勢にいたずらに損失を募らせ続け、なおも頑として天に向かってそびえ続けてます。

山上の巨怪。

人々の欲望を余すことなく飲み込み、絶望へと変え、やがて畏怖へと。

こうして無数の人々によって積み置かれゆく石はまさに歴史に刻まれるゆく道程。

寡兵でもって織田の大軍を見事凌ぎ切る。

この報は忽ち天下にとどろきわたるでしょう。

が、思わぬところから急報が。

火の手です。

三の丸から。

これが反撃の狼煙だったのです。

そう、戦は論理だけで成り立ちません。

松永弾正久秀、数え69才。

幾度も味わい味合わせつくしてきたそれが、ついに、一世一代のこの大局面で・・

一方、筒井順慶とその一味からしてみればまさに、

俺の未来を塞ぎ続けてきた……この鬼峰を今……越える

引用『賭博破戒録カイジ』より

さしもの松永もついに

敗者は失うっ…!それをねじ曲げたら…なにがなにやらわからない…受け入れるべきだっ…!負けを受け入れることが…敗者の誇り…オレは…負けをぼかさないっ…!

引用『賭博黙示録カイジ』より

さながら信長に所望された自慢の平蜘蛛の茶釜に火薬を入れてもろとも爆死したとも伝わります。

にしても、野心のままに裏切りに裏切りを重ねた人が生前最も食い物にした人たちにものの見事に裏切られ滅ぼされる。

いかに乱世の習いとはいえ、まさに圧倒的因果応報ぶりです。

⑥洞ヶ峠の日和見

こうしてついに宿願の敵をうち倒した筒井順慶。

いよいよ天下へと邁進する織田政権のもと、大和は平穏を取り戻します。

が、思いもよらぬことが起こったのは天正10年6月2日、大恩人であった明智光秀が突如本能寺に主織田信長を討ち果たします。

筒井順慶は明智光秀の要請に応じ、わずかな兵を差し出して近江侵攻への一助としていたのですが。

ほどなく、さらにありえないことが起こってしまいます。

羽柴秀吉の中国大返しです。

大詰めで弱い人間は信用できぬ・・・・!
つまりそれは 管理できても
勝負できぬ男・・・・・!

所詮お前は 指示待ち人間っ・・・・!

引用『賭博黙示録カイジ』

とはさすがに言わなかったでしょうが、明智光秀からの援軍要請を黙殺。

結局筒井家がどちらに付くでもないうちに明智光秀は羽柴秀吉の手で滅亡。

ちなみにこの時の逸話で『洞ヶ峠の日和見』が有名です。

筒井順慶が明智・羽柴両軍が激突するであろう大山崎近くの高台洞ヶ峠に陣を張り、どちらが優勢か見極めんとした、と伝えられます。

が、真相はすでに説明の通り、筒井軍はそこには至っておりません

ようやく筒井順慶は羽柴秀吉のいる山科醍醐まで参陣しますがとっぷり叱責されます。

灼熱の鉄板の上で土下座

を強要されはしませんでしたが、まあ正味似たようなものでしょう。

それでも甲斐あって、筒井家は大和の領土保全にはどうにか成功しました。

⑦夭折の血?

そりゃ当時、“明智光秀の呪い”などとささやかれることはあったでしょう。

実は筒井順慶、この一世一代のシーンからほどなく病没しております(羽柴秀吉の圧からの心労による発病だと言われております)。

享年35才。

思えば、父順昭も夭折しております。

そういう遺伝的要素はあったのでしょうか。

ちなみにこの時、筒井順慶は病身を押して秀吉の小牧長久手の戦いに従軍しました。

この人はともすれば“薄情の代名詞”的扱いなんですが、実際はあながちそうでもないようです。

⑧部下からの人望はそれなりにある

確かに明智光秀は大恩人です。

ただその一方で島や松倉といった家来らも筒井順慶の一番の苦境にあって裏切らず、それどころか、ともに頑張り続けてきた大盟友のはず。

筒井順慶は後者をとても大事にしたのですね。

小牧長久手でも秀吉の従軍要請にあくまで従わなければ、一族も家来もみんな路頭に迷うぐらいならまだいい方です(あの面談で、秀吉のやばさをかなりまざまざひしひしと思い知ったのではないでしょうか。筒井順慶はかなり繊細そうですし。まあ、秀吉も負けず劣らず。ついでに●頭会長も。でも、それが三人とも「悔しい」「悔しい」「悔しい」「でもこれでいい」のバイタリティにはつながったのかもしれません)。

そのせいもあるでしょう。

筒井順慶の後を甥の定次が継ぎますが、たちまち島や松倉などは下野してしまいます。

筒井定次のやり方がかなり革新的だったので守旧派の抵抗というのはあるでしょうが、ただ彼らは順慶のころはあんなに苦しくてもついていき続けたのです。

それでいいっ・・・・・・!
そんな安っぽい 役に立たない友情でいい・・・・・・・・!
いや・・・・ 役に立つ友情なんてのが・・・・
そもそもおかしい・・・・・!
そっちの方がよっぽど眉唾だ・・・・!
求めちゃいけないっ・・・・・・! そんなもの・・・・・・・・!
オレは思いだけでいい・・・・!
ありがとう・・・ ありがとうみんな・・・・!

引用『賭博黙示録カイジ』より

と、ジュンケイが思ったのかどうかは知りません。

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