
中国のPISA(子供の学習習熟度)が世界でダントツ1位となったようです。
以前からその台頭が顕著ではありましたし、そもそも例のごとくデータをいろいろとチョメチョメしているようですが。
まあでも、これはもう中国(エリート層)の没落は案外近いかも、なんて。
少なくとも若い方は危ないかもしれません。
というのも自分たちの若いころとものすごく重なるんです。
あの頃は「何が何でも偏差値」「後先考えない徹底的な詰め込み教育」が当たり前に跳梁跋扈しておりました。
うちはその中でもわりと特別かもしれませんが、まあなかなか癖のある高等教育でした。
本当に「いい大学にさえ受かればそれでいい」。
だから、英語のリスニングはほぼ無視(おかげで、私、手前みそながら高1の時なんて全国模試に名前が載ったほどなのに、外国では全然しゃべれません)。
「部活やめろの圧がすごい」
ほとんど原理主義者としか思えないような教師が幅を利かしている。
などなど。
ただそれで“うまくいき”さえすれば文句も出てきにくいのでしょうけれど、うちはそこまでの賢子の集まりではありませんし、そもそもうちらの世代は圧倒的過当競争なのです(失われる前から失われる可能性に満ち溢れまくっていたわけです。今ちょっとでもまともに考えると「そりゃそうなるわな」ってなりますよね・・)。
だから、あそこまでやったのに、落ちこぼれがわんさか出てくるのです。
・身につかない
・説得力がない
・応用力がつかない
・変な常識ばかり埋め込む
ので。
あれはある意味“世間の勉強”ではありますが。
だいたいそうしてなんとか大学に入ったところで、例のごとく就職で採ってくれませんので。
しかも、変にそこそこの学歴(私は本当に全然ダメですが)で、中小とかに勤めだすと、今度はそこで軋轢が起こりやすくなります。
そもそもあれだけ大量の学歴エリートを作り上げる意味というのがよくわかりません。
無意味とは言いませんが、直現実には即しておりません(堀江貴文さん、中島義道さんは似たようなことをおっしゃっております。)。
とことん目の前の現実に即するならあんな知識はごく一部だけで、というかパイはそれしかないじゃありませんか(で、結局世の中はそのパイの奪い合いこそ正道とするんでしょ)。
後の人たちにはそんな無用の長物(でもないと、本当は思いますが)にせっせと親のお金と自分の膨大な労力をつぎ込んでしまうことになります。
その後、社会は
全体として遅々と前に進まず。
ごく一部の新進的なやり方で前に進んでいる人たちや、すでに集中的な特権を得ている人たちはこの社会を体よく見限り始めている。
それでいて、残される側全体は“尖鋭化”している感で、受け皿はいよいよ乏しくなる。
なんと言うか、ある船がどんどん狭くなってきているところを、内側から外側の人を“焦って”どんどん押し出している。そして、一部のかなり内側の人は「表向きそれっぽい」ですが、「ここ」と言う時にしたたかに備え、いつでも脱出用ヘリを密かに用意している状態です(たとえは悪いですが元某CEOって象徴的ですね)。
まるで中国の未来予想図です(あ、もうだいぶそうなってましたっけ)。
もう中国だって「若いエリートが世にあぶれすぎている」というのはとっくに言われまくっているはずなのに。
そうなると、物質的にも精神的にも相当のルサンチマンが社会に蓄積されます。
また、「あの頃の失敗」がやたらめったらスポットライトを浴びすぎて、今度は
「詰め込み最低だな」(かつての〇主党政権バッシングとちょっと似てます)
となり、・・
中国とは対照的に日本の子どもの学力低下は歯止めが効かなくなっているようです。
でいて、コンピューターソフトや実学経済などの未来の現実分野にもだいぶ及び腰。
ある人が言っておりましたが、
「若者を延ばさない教育」
一方で、日本の先生は“伝統的”めちゃくちゃ過酷なブラック労働に甘んじざるを得ない状況(精神論というのはとても説得力がありますが危険です。なぜならその成功体験が合う人ってどれだけの割合なんでしょう。結局その人々に合う成功体験と言うのは十人十色なんです。それを十把一絡げにローラーでぶわっとやり出すと、成功者は鈍感になり失敗者は敏感になるんです。また逆も言えます)。
ある意味、教育がなめ切られているというか、こりゃ二極分化が起こりますね(余裕のない社会では人類はこうなりがちなようです。そりゃ明日の飯にも事欠いている人間は目先のことに追われずにおれません。そのなけなしの投資したところで本当に返って来るかどうかわかりませんからね。一方で余裕がある人間はその効能を十分わかってますし、どんどんつぎ込める余力があります)。
何か、成し遂げた本来のアグレッシブさを忘れながら(その人は言っておりましたが、「もともとこの国はカリスマ起業家がたくさんおりました」もともとこの国だって荒野だったんですよ)、かつての成功体験にすがりつき、それでいて、本当のゆとりにも目指していけない(それらを積極的に食い物にしている人たちもおります。獏みたいなもんですね)、何とも言えないジレンマがこの国に蔓延しているような。最近の韓国も、そうですね。
中国もそうなるんでしょうか。なりそうですが(ただ中国は広大です)。
追伸。2020というのはこの先の日本(ていうか人それぞれの生き方)をどうしたいのか、というのが本格的に問われる節目になるような気がします。