
かの『やまゆり園事件』を引き起こした植松聖容疑者は『ニーチェの礼賛者』らしいです。
駁論する価値があるのかすら疑わしいですが、同じニーチェファンとして、一応少しキーボードをたたいてみます。
この人は超人に憧れて何やらいっぱいやられていたようですね。
まだかなり若いし、麻薬もやっていたようでもあり、犯行当時の状況から鑑みても、その辺の精神性については、まあ。
私的に当時の彼は超人と言うより明らかにニーチェの言う『ならず者』の部類にかなりぴったりはまっている感なのですが。
まあ、あれだけのことをなさったのですから、私ごときからも弁護のしようのないところがかなりあるわけですが、ともかく、ニーチェは「落ちること」の意義を大きく唱えていらっしゃいます。
それだけの破壊を行い、罪を背負うということは常人にはどうしてもできませんから、そういった意味での特別な人として、今後残る生を精一杯邁進・開拓なさってください。
私は発達障碍者です。
確かに「死にたい」と思うことはよくあります。
「世の中全体からしてもそのほうがいいかな」
ということも。
ただ、一応言っておきますが、ああいう個性にああいう殺し方はされたくありません。
端的にこればかりはむしろ逆行します。
それは情動的にも論理的にもです。
なんというか結局この人はどこまでも末人的な承認欲求に追い立てられていたような。
それをああいう手練手管で常人らしからぬ風に。
……
まあでも似たようなのがまた起こりそうな。
追伸。
確かにニーチェの思想はナチスドイツにも悪用されたことがあり、危険な一面はあります。
「超人」なんていうぐらいですから。
しかし、ニーチェの言う「超人」はああいう分類でない、というよりかなり背反しているようにしか思えません。