世の中って“真逆”の寄り集まりなのだろうか

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以前の中国というのは地理的にはお隣なのに、日本とは“真逆”と言っていい価値観のお国柄でした。

今もそれはかなり色濃く残っているようですが。

また、アメリカというのも戦後我が国にかなり影響を与えたようでありながら、あちらの映画などを見るとなぜか一時的にとはいえ、価値観が大きく変わってしまいます。

ただこんなことを言うとアメリカの人に怒られてしまうでしょうが、“自然破壊の権化”のようなイメージでありながら意外に自然ならではのスケールの大きさや美しさなどをありのままに、あるいは、よりうまく引き立てる表現を得意としてらっしゃいます。

あれは真似ができないというか、ただただ脱帽してしまいます。

また、最近のヨーロッパも日本とはまた違う“真逆”があるようです。

結局、なんだかんだ言って、世の中ってこういった“真逆”が寄り集まったものなのかな、なんて思ったりして。

普段このブログでもブーブー言っておきながら、やはり日本には独特の強さ、美、神秘というのは確かに実感します。

それは最近の“便利”とか“安全”とか言ったこと以外に、やはり古来の美術、そして、世阿弥の台本なんて読むとやっぱり「うわー、すごいなー」となっちゃいますし、和歌とか王朝文学とか、ああいうのってほかではやっぱりありません。

ちょうど今正月なので目につきますが、老若男女を問わずその和服姿と言うのが目に染みるようになってきました。

なんだかんだ言ってこれをうまく表してるな、と思うのが本居宣長の

敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜花

まあそりゃ、その一瞬の花を咲かせるのにそれぞれいろいろあるんでしょうが。

谷崎潤一郎さんなら「それも含めて愛でるんだよ」と諭される感じでしょうか。

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