(引用instagram)
本日、石破茂さんのこんな記事を見ました。
単なる反韓・嫌韓本ではなく、現在の韓国を憂えて記した“憂国の書”――石破茂「反日種族主義」を語る
石破さんと言えば、かなりゴリゴリの右の人、というイメージだったのですが。
私はこの意見に大いに賛同します。
身の回りのことも歴史も見ていつも思うのですが、どっちが正しいか悪いかなんて、どう考えたってそう単純でありません。
たとえば、どうしようもない凶悪犯だって、確かに非常に嫌悪感を掻き立てられますが、一方でそういうのを作ってしまっているいろんなものがあるはずです。
そこにきて「なんて悪い奴だ」「鬼畜だ」と言いたくもなりますが、そもそもその人がそうなるようになった醸成過程と無縁と言えるでしょうか。
世の中が頗る理不尽であることはだれの目にも明らかであり、そんな聖人君主なんてどこにもいないはずです。
例えば、私なんてほぼニート状態ですが、アスペルガーなんてほとんど採らないし、一応はしくれの国立の経済四大卒で40社ぐらい受けたって。
いろんな勤め先も経験してきましたが、こちらにもいろいろ落ち度はあるでしょうが、辞めるしかないようにいろいろしてくれた人たち(犯罪行為みたいなのもいろいろあったような。後、仕事ができるようになればそれでいいではないんですね。そういう人たちの気分を損ねてはならない。こっちのいろんな都合をまったく顧みず。ブラック労働なんて当たり前。どっちが地雷で腫物だよ)、見て見ぬふりの人たち、など。
だいたいよくTVを騒がすあの人だってこの人だって、ああやって爆発するまでにそういったものを日々にいろいろ蓄積させていたんでしょう。
あれで恨むなと言われても、それはなかなかなもんですよ。
ええ、韓国だって以前の私の知らなかった部分がいろいろ明らかになってきて、それは思うところはあります。
まあぶっちゃけ私の場合、韓国の人たちといい出会いが多かったものですから、もともと「好き」というのもあるかもしれませんが。
ええ、私が出会った韓国の人たちは今先行しているイメージとは真逆の公平さ、たとえば桂林で居合わせた彼なんて日韓ワールドカップの時に「韓国の準決勝はどう見てもまぐれ。すごいのは日本の方だ」なんて言ってましたし、どんな人種の人たちとも同じような感じでしゃべってました。
また、慶州で会った彼なんて何も頼んでないタダの生き当たりばっかりなのにタダで私を色々案内し、もてなしてくれて。
そもそも韓国人って私にはかなり馴染みやすい国民性なんです。
素朴で情緒的で飾りっ気がない(バスの中で年頃のかわいい女の子がニンニク系のファーストフードを食ってぷんぷんさせても割と平気にしてるし、周りもあまり気にかけないところがあったような。私はああいう系に萌えるんです)。
また、はっきりとメシは美味いですし、韓国映画は大好きです。
にしても、お互いの歴史をちょっと掘ってみると、いろいろ出てきますね。
例えば孫正義さんの生い立ちとか。
こういうのを読めば読むほど思うのですが、「もうどっちが正しいとかじゃないだろう」。
あの太平洋戦争だって。
島原の乱だって。
幕末だって。
大日本帝国がやったことみんなが鬼畜そのもの、とはどうしても思えませんがその一方で吉野作造や榎本健一の当時の文章を読んでいると、「ああ、やっぱ当時の日本て朝鮮半島の人に嫌われてたんだな。で、嫌われてることしてるよな」と思います。
たとえば、吉野作造の文章だと、「併合後、現地の官僚に日本人が入ってきて、現地のことを考えずに、やれ、道路を作った、ありがたいだろ。でも、現地には本来いろんなこみいった土地問題があるんですね。それをスルーして。しかも、彼らはやたら天狗だし、現地を野蛮とみなしているのありありだし、給料も日本人の方が高い」あなた、こんなのに「どうだありがたいだろ」と言われてどう思います。
そりゃ、台湾でも最初は嫌われてたんですよ。
きっついこともやったし。
でも、だんだんその統治がバランスよくなってきて、で、台湾では今も日本は好かれます。
一方ほかにも沖縄、アイヌ、パラオ、いろんなケースがあります。
要は朝鮮半島の場合、“あの期間”に日本はもっと深層から良好な状態に持っていけなかった。
ただそれだけです(まあそりゃ、朝鮮半島はほかの地域より難易度高かったと思いますよ。単一民族国家やし、人口も多いし、誇りも高いですし、まあでも受難という意味で「もっと」と思わずにいられないのがアイヌです。あのころの統治はほぼ今のどこかの国張りの“民族浄化”に近いものがあります。で、どこかの国家政府はそんな体制を表向き賊呼ばわりしながらせっせとその真似にいそしんでいるように思えてなりません。もとい。まあ人類、特に日本の歴史性向上ああなる運命なんですかね。マジョリティは考えた方がいいような。ほんまにそれでええの?ええんやったらええてはじめっから言え。もうとうにわかっとるわ)。
(拙いですが、うちの記事です。アイヌ文芸復興に身命をささげた夭折(ようせつ)の才女知里幸恵)
同じアメリカ統治でも日本では割と好かれ、イラクでは最悪、とまあそれぐらいの差だと思います。
最近「結局ダーウィンが一番正しい」という説を見たんですが、本当にそう思います。
結局人間はいろいろ自分の経験した価値観だけで物語を作りたがりますが、そもそも立脚しているものは宇宙の中のほんの一部なんですよ。
生き残ってる要因のほとんどは「運」そして「対応」。
たまたまそこにクロマニヨン人がいて卑弥呼がいて源頼朝がいてマリー・アントワネットがいて孫文がいたんです。
またこれも好ましいとは思えないのが、結局この絶対神と言ってよいDNA(つまりダーウィンです)に任せるままに世の中がどんどん始末に負えない方に向かっているように思えてならないこと。
自分も大いに人間なのですが、あれは本当にもうちょっとなんとかならないのでしょうか。
たとえば、私は光熱費をほとんど出さないのを誇りとしておりますが、世の中では「負」という概念なのですね。
ああ、ほぼニートのアスペルガーのうだつの上がらない偏屈男だから駄目なのか。
知りません。
これを言うといけないのかもしれませんけれど、私は確かに変人ですが、世の中は世の中で違う変さがありますよね。
たとえば、年頃の女の子が自転車で縁石にぶっとみ、チャリを壊して動けなくなっているところをだれも助けない。
見て見ぬふり。
店内の大の大人でもそう。
そりゃ、レジを番しなきゃなんないだろうけど。
別に普通に彼女に近寄ってチャリを直してやると、まあパジャマ(真夜中なんだし)でむさい格好だからよくなかったんでしょうが(一応誤解なきまでに。私は自転車と彼女の安否に関すること以外何にもしゃべってません。そもそも彼女に一切のむらむらを催しませんでした。かわいいとかかわいくないとかそういうことじゃなく。で、逆に「なめとんか」という目をされてサーーッとどっかいってしまわはりました。)
店内を眺めると、店長さんと目が合いまして、あちらはすぐに目をそらされました。
私にはこの世のシステムが改めてどこまでもよくわかったようなわからないような。
こんなんはとくとご存知の通りあくまで一例です。
話がだいぶそれてまいりましたが、ともかく、「石破さんの言うことにものすごく賛同する」ということです(あんちゃん正論でかっこいい!まあ、かと言ってそれで“この世”が治まるんかは知りませんが)。
お互いに言い分はありまくるに決まっておりますが、何とかならないんでしょうか。
こういう糞状況を打ち破れるんは逆にマイノリティの役目なんかもしれません(韓国の彼も多分韓国ではマイノリティでしょう)。
とはいえ、私も「なんでこんなんのために(ほんのちょっとでも)いろいろ捧げんならんねん」というのはありありなんですけど(私の最大の人生目標はこういうこととかかわらないことです)。
お察しください。
一応、もう一度、こちらの記事。
単なる反韓・嫌韓本ではなく、現在の韓国を憂えて記した“憂国の書”――石破茂「反日種族主義」を語る