
現代日本と言えば何かと「アスペルガー症候群を色者扱い」という扱いですが、日本の歴史を見れば案外に「アスペルガー立国」。
人口比率が世界一(統計上)というのも頷けます。
なのに、なぜこんなことになってしまったの?
あの江戸時代の美術とか芸能とか工芸とかどれもめちゃくちゃ凝り性ですよね。
そして、戦後のカップラーメンだとか家電だとかもやっぱり。
そして、オタク文化。
この国の根底に流れているものはよそよりもよっぽどアスペルガー指数が高いような気がするんですが。
人口比率も世界一クラスなようですし(イギリスも高いようです。なんとなくわかりますね)。
なのに、なぜ・・?
ヨーロッパの中でも北欧とか中欧とか逆にざっくりしてそうなあっちがなんであんなにああなのに。
じゃあ、途上国はダメかというとそうでもないんですよ。
あっちは独特の寛容さがあるんです。
生命らしい郷愁が。
ただ、不思議なのは日本ではあれだけうまくいってた時はこれほどではなかったのに。
そうなんです。
まあ、社会に余裕があったというのと、どう考えても素朴だったのと、もうひとつは需要が高かったということ。
今は機械が代替しちゃいますから。
そりゃ私らみたいな「めんどくさい」のと、ポチッとインプットすればやってくれるあっちと、“彼ら”はどっちを選びますか。
『千と千尋の神隠し』の眼鏡の爺さん、と、機械、と、です。
そういえば私はパン工場で働いたことがありますがその時にあっつあつのまさに巨大オーブンから焼けたてのパンを2,3枚の軍手をした手で次々ラインに並べていく、という仕事をしたことがあります。
やったらわかると思うのですが、そのパンを持ってだいじょうぶなのは2、3秒ほど。
熱が繊維をじんわりと越えてくるのです。
するとたちまち皮膚が焼けるような灼熱。
それを何千個、何万個とこなします。
もちろん、何ひとつ文句を言わず、熱いというそぶりすら見せずに。
その時に印象的だったのが現場の主任の一言。
「ここの人(バイト)っておかしい」
だれもこんな何百度かしれない小麦の塊をこんな軽装備で普通に並べてなんかいないよ。
私らはみんな心頭滅却してるんだよ。
で、それ、あんたがやらせてるんだよ。
それについて誰も声を上げることはありませんでしたが、最後までその人が自分でパンを並べる様子を一切見ませんでした。
今のデフレマインド(安いものが好い)という現実感。
逆に高ければいいという謎の神話。
どうでもいいですね。
多分、こんなエコノミックアニマル国家でも、というよりだからこそアスペルガー症候群のようなタイプへの寛容さ、というよりリスペクトが垣間見れたのでは(例のごとく、その時代でもかなりひどい目にあい倒しますが)。
アメリカですらシリコンバレーであんなに人材活用をしたり、ハリウッドで。
日本は地盤沈下が止まりませんが、なんなのでしょう。
維新で血を流した張本人らでなく、年が経つごとに。
高杉晋作もあんなことを言うはずです。
せめて平安時代とかなら長持ちもするんだろうけど(結局、戦後そういう時代は10年も持ったかどうか)。
でも、一応言っときますけどああいう連中はしたたかです。
平安時代が終わってああなったけれど、なんだかんだ言ってしっつこくああして長年どこかに縋り付いて。今でも。嫌ほどわかると思いますがあれがああいう人種です。
あの人らにはあの人らの言い分があるでしょうが、結局人間なんてみんな言い分があるんです。
でも、もっと俯瞰で見た世は?
私はスピノザが好きです。