賛否両論!コロンブス・デーとは

歴史
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1492年10月12日クリストファー・コロンブスが西インド諸島に上陸いたしました。

これを記念して、今世界中でコロンブス・デーという祝祭日が設定されております。

ただこの日、世界の各地で賛否両論が巻き起こっております。

一体なぜでしょう。

コロンブスがその航海に残したもの、歴史の一面とはいったい……?

コロンブス・デーをめぐって

コロンブス・デー

日本ではあまり聞きなれない祝祭日です。

しかし、実際に南北アメリカ大陸を中心とした世界の多くで運行されております。

ただ、その地域や人々によってその日のもたらす意義というものはまったく異なります。

そうです。

ネイティブにとってみたらこの日は祝うべき日でも何でもないのです。

あの恐るべき列強による浸食の始まった日なのです。

なので、中南米を中心に多くのネイティブはこの日を無邪気に祝うことを反対しております。

ただ一方、地域や人種などによっては

●国の“栄誉”として記念すべき日であったり

●歴史の画期的な節目であったり

●国内統一のシンボル(国内のいろんな民族で祝い、一致団結を促す)

を表していることもまた事実です。

最初の接触

クリストファー・コロンブス

彼の生まれたイタリア語ではクリストフォロ・コロンボと呼ばれます。

ジェノバの毛織物職人の息子です。

彼は航海士であり、「西回りのインド航路」を提唱。

ポルトガル王室からスペイン王室へと後援航海を説いて回り、1492年ついにその夢を実現します。

カナリア諸島から貿易風に乗って西へ。

1492年10月12日最初に到着した島をサン・サルバドルと名付けました。

島民らはその船を見つけ近づいてきます。

最初の接触です。

島民はオウムや投げ槍やらを見せてきます。

替わりにコロンブスらはガラス玉や小さな鈴をあげました。

この時コロンブスは

「島に砦を作る必要はない。なぜなら彼らは武器の使い方も知らない。50人いれば全島民を思うがままに使えると思われる」

といった内容を書き記しております。

コロンブスはなおも“黄金の島ジパンゴ”を目指して、ほかの島から島へと訪ねてゆきます。

キューバ

やがてコロンブス一行が訪れたのがキューバ。

しかし、あいかわらず黄金の見つかる様子はなく、替わりに現地の男女や子供らを誘拐します。

これで“証明”は確保した、ということです。

コロンブスらはなおも鼻に黄金の飾りをつけた娘を見つけ捕獲。

替わりにきれいな服で着飾ってやり、案内をさせました。

彼女はある部族の主張の娘です。

部族と一行はとても友好的に。

コロンブス一行は一部をここに残し、いったんスペイン本国に引き上げます。

英雄コロンブス

スペインに帰ると英雄としての待遇がコロンブスを待ち構えておりました。

しかし、コロンブスにとってこれはまだ大いなる夢へのほんの序章にすぎません。

“より確かなもの”を目指して、またたちまち出航。

しかし、そこで見たものとは……。

惨劇

“あの地”にまたたどり着いて見ると、あの部族たちがコロンブス一行に攻撃を仕掛けてきます。

そして、残っているはずのスペイン人たちを探しますが、恐るべきことに彼らは全滅していました。

部族の者が話すには

「スペイン人たちがまるで支配者のように好き勝手にふるまい始めた。女たちをさらい、かどわかし、黄金を好きなようにせしめようとした。だから、やつらに思い知らせてやったのだ」

一行はコロンブスに「復讐」をせまりました。

しかし、コロンブスはそのまま“出航”を告げます。

とどまらない蛮行

コロンブスはその後も金脈を探し、砦を築き、現地人を“召使い”として使用してゆきます。

やがてジャマイカ島北部で現地人からの襲撃を受け、復讐の殺戮をおこないます。

イスパニョーラ島では1500人を拉致。

うち、500人をスペインへと送り出しました。

彼らは悪環境で間もなく亡くなります。

現地人は結集して抗戦しますが、コロンブス一行の大砲や犬を使った反撃で打ちのめされます。

もうこうなると、コロンブス一行側のやりたい放題です。

夢の終わり

第3次、第4次とコロンブスのあきらめない後悔は続きます。

第3次では新大陸を発見。

コロンブスはそこを「別天地」と名付けました。

第4次ではついに念願の大量の金にありつきます。

しかし、間もなく現地人と激しい抗争。

なんとか金を船に入れて出帆しますが、皮肉なことに一行は難破。

“まともな成果”を本国に持ち帰ることができず、コロンブスは失意のうちに亡くなります。

まとめ

その後における列強によるアメリカ各地での蛮行はよく知られているところです。

奴隷労働・搾取・開拓・殺戮……。

キューバでは原住民が彼らによってほぼ絶滅させられました。

それにしても我々人類におけるまったく異質なる未知同士の遭遇のシビアさを思い知らされます。

我々人類がそれぞれ平和穏当に暮らしてゆくにはどのようにすればよいのでしょう。

  • コロンブス・デーは世界各地・人々によって受け止め方がまるで違う
  • コロンブス一行はアメリカの各地で現地人と抗争した
  • コロンブス一行はアメリカの各地で蛮行を犯してしまった

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