
実は、方位磁石のN極はたいがい真北を向いていません。
「そんな、あほな!」
です。
実はこの現象、歴史とも大いにかかわっております。
大航海時代、実はあまりに統治能力がなくて苦労した、あの大提督。
江戸後期、実はすご腕実業家だったあの人。
彼らのトリビアとともに、偏角とは。
なぜ、偏角は生じるの?

磁石が真北を向かないなんて。
それもそのはずです。
地球という磁石のN極点は必ずしも北極点と一致しないのです。
地球という磁石のN極点は今、カナダ北部にあります。
しかも、地球上の磁力線はすべてが極に直線というわけではありません。
なのでちょっとずれてしまうのです。
コロンブスも困った?
そうです。
アメリカ大陸を最初に発見したあの人です。
1492年コロンブスがインドを目指した第1次航海の時のことです。
大西洋のど真ん中を航海していた時、ある船員がコロンブス提督に言います。
船員「提督。わしどう考えてもおかしいと思うんですけど」
コロンブス「ん?なんや、言うてみ」
船員「羅針盤がN極から1度ほど西にずれとる思うんですけど」
船員たちは「え、まじか?」「それ、あかんやん」「わしらこの大洋のど真ん中でどないなんねん」と気が気ではありません。
そこでコロンブスは一言。
「羅針盤に狂いなんかあるかい。悪いのはみな北極星や。あいつが間違っとる」
コロンブスのことだから自信満々に言い放ったのではないでしょうか。
彼には大変な航海の知識があります。
ただ、その中にはいろんな伝説や迷信がかなりいりまじってあやしいのですが。
とりあえず、船員らはこの時は収まりました。
「おお、さすがに物知り提督だ!」
てなもんでしょう。
ところが、だんだん不安になってきた船員らに「絶対(スペインに)帰るんだ」と詰め寄られることになるのですが。
コロンブスは
「わかった。もうちょっとしたら帰るから」
となだめつつ突き進んだ矢先にサンサルバドル島が発見されました。
コロンブスの意外な弱点?

実はコロンブス、野心と理論は素晴らしいのですが、歴史的提督の割にリーダーシップがあまり見られません。
少なくとも私にはそう感じずにおれません。
行く先々で味方の反乱などに苦しみます。
そして結局、それが彼の晩年の惨めさ、業績の大きな影となってしまうのですが……(身の回りにもこういう人はいました。確かに一時的に日の出の勢いで上り詰めていくのです。が、自分で大きな墓穴を掘ってしまいます・・)。
この人は実家の家業(羊毛業者)が非常に苦境であったし、時代もあって、野心満々に海に乗り出していくしかないことになるのですが、本当は一人で黙々できる仕事の方が向いていたと思います。
これほど名を残すことはできなかったでしょうが。
(↓コロンブスに関する記事はこちら)
伊能忠敬の日本地図完成

伊能忠敬の日本地図の精巧さは驚きです。
今の人工衛星画像と比べても大した遜色はありません。
ただ、あれだけ正確な地図が出来上がったのにも偏角は関係しております。
というのも、あの時たまたま日本列島における偏角は0度に近かったのです。
持ってますね。
伊能忠敬と言えば、50才の時に19も年下の天文学者に弟子入り。
55才で日本地図の測量をはじめ、その後18年かけて完成させたものすごいセカンドライフの偉人として知られております。
では、伊能忠敬が地図測量に携わる前は何をやっていたのかは知っていますか。
実はかなりのすご腕実業家であり、また、大変有能な地方政治家でもあります。
伊能忠敬はもと千葉県九十九里町小関にある名主の家の子どもです。
しかし、家の都合で幼いころは各地を転々。
そこで、ソロバンや人あしらいなどを身に着け、頭角を表します。
やがてその才覚を買われ、香取市佐原にある酒造家に婿入り。
しかし、そこはかなり商売が傾いておりました。
伊能忠敬は持ち前の甲斐性よく家を切り盛りし、次第に回復、大繁盛。
その築き上げた資産は現在の価値で30~35億円ともいわれます。

また、伊能忠敬は地域の顔役としても大変な能力を発揮しました。
まだ若いころはあなどる者もたくさんおりました。
が、伊能忠敬のあまりに据わった肝っ玉と公平無私さに人々はおのずと鎮まってゆきます。
そして、今でも語り草となっているのがあの“天明の大飢饉”。
なにせこの時は東北地方を中心に100万人近い人口減があったと言われるほど
しかし、伊能忠敬は身銭を切ってまで村を守り、なんと村から一人の餓死者も出させませんでした。