世界各地にある大航海時代の不思議話まとめ

歴史
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大航海時代

これはルネッサンスが行われていた時期とちょうど重なります。

まさにヨーロッパの人類が合理的な探求心で未知なるものをうちはらい、新たなる秩序の世界を切り開こうとしておりました。

自然―科学

中世―近代

伝説―真理

そんな対局が入り混じったからこその人々が味わった神秘の数々。

ここにそんな不思議な話をまとめてみました。

さあ、あなたも心の海に少しこぎ出だしてみませんか。

大いなる冒険への旅立ちの時です。

それは神をめぐる戦いから

そうです。

そもそもこの時代の幕開けを促したのは大いなる神からなのです。

キリスト教とイスラム教の争い。

まして、この時代はオスマントルコ帝国が古代ローマの流れを受け継ぐ名門ビザンツ帝国を滅ぼし、地中海、さらにバルカン半島深くまでと勢力を大いにふるっておりました。

一方、レコンキスタ(国土回復運動)にほぼ肩のついたスペイン・ポルトガルは大海原の向こうに聖なる教えをいよいよ広げようと野心を燃やします。

ちょうど羅針盤が伝わったことも大きな追い風となりました。

新世界(アメリカ大陸)における大航海時代の不思議話

大航海時代の一つの象徴。

それがヨーロッパ人の言った新世界、つまり南北アメリカです。

コロンブスが1492年に西インド諸島を、1498年にはアメリカ大陸を発見しました。

ヨーロッパ人にとってはまったくの未知なる地。

当然そこには思いもよらない不思議なものがたくさん待ち受けております。

さて、その一つ一つを経めぐっていきましょう。

若返りの泉

(イメージです)

フロリダ半島にあるらしいです。

今、同州セントオーガスチンでは国立遺跡公園になってます。

効果のほどはぜひ飲んで確かめてください。

サルガッソー

地球上には貿易風帯と偏西風帯に挟まれたとても風の弱い地域があります。

当時の遠洋航海は帆船。

航海泣かせなのは言うまでもありません。

そして、いつ誰が言うようになったか“船の墓場”

行く先を失った船内に閉じ込められ、やがて飲食を失ってゆき、そこに絶えた人々は数知れず。

汽船の時代になってからもここにかなり繁茂する海藻がスクリューをからめてしまいます。

夜になると海から青白い触手が無数に伸びてきて取り込んでしまう、とも。

さらに、巨大ダコや巨大イカの伝説まで。

また、航空機の時代になってからの「バミューダトライアングル(※)」とも場所が重なります。

(※)この空・海域で船や飛行機が謎の失踪をとげたというエピソードがたくさんあります。

偏角

1492年コロンブスの第1次航海の時、ある船員がコロンブスにこう告げました。

「羅針盤が狂って思い通りの位置に行けません」

これに対し、コロンブスは、

「それは北極星が悪いのだ」

と諭しました。

普通方位磁石というものは真北を指しているものだと思います。

しかし、実際は違います。

というのも地球のN極である“磁極”と北極点はずれているのです。

そして、そのずれを偏角といいます。

そのため、先ほど船員が告げたような誤差が生じるのです。

アステカの伝説

水上首都テノチティトランやピラミッド群のあるテオティワカンなどで知られるアステカ

今の中米に栄えていた軍事帝国です。

しかし、スペインから突如やってきたコンキスタドール、エルナン・コルテスによって1521年あっけなく滅ぼされてしまいました。

その理由はアステカ族の間に根強く信じられていたあるひとつの伝説に由来します。

この世に2柱の神がおりました。

1柱は戦争を好むテスカトリポカ(アステカ族の神)。

そして、もう1柱は平和を好むケツァルコアトル(トルテカ族の神)。

両者は争い、テスカトリポカが勝利します。

しかし、ケツァルコアトルは最後にこう言い残して去ってゆきます。

「私は“一の葦の年”に必ず帰ってくる。そして、私が実権をにぎる。“一の葦の年”はなんじらにとって大いなるわざわいの年となるだろう。」

白い肌のスペイン人が領内に入ってきたとしてアステカの皇帝モクテスマは憂鬱でした。

というのも、ケツァルコアトルは白い肌。

しかも、それはちょうど“一の葦の年”に当たっていたのです。

モクテスマは自分からコルテスに

「帝位をあなたにささげよう」

と申し出る始末。

その後、スペイン人たちのあまりにもの非道な振る舞いにアステカも反撃に出ますが、それもおよびませんでした。

エル・ドラド

エル・ドラドとはもともと“黄金の人”という意味です。

それが転じて“黄金郷”となりました。

今のコロンビアの首都サンタフェボゴダ辺りの高原地域に栄えたチブチャ王国。

彼らは年に1回グァタビータ湖にてちょっと変わった祭礼をとり行います。

全身金箔を塗った首長が小舟に揺られ湖の真ん中に。

そして、人々はそこでたくさんの黄金の品を湖に投げ入れ、首長も湖に飛び込みます。

これに妙な尾ひれが付いて西洋人による伝説へと作り上げられていったのです。

アマゾン

ギリシャ神話でも語られる女だけの部族アマゾン

部族単位で戦争もやり、トロイア戦争ではアキレスなどの並みいるつわもの擁するギリシャ連合相手に大奮闘して見せる女王ペンテシレイアでも知られております。

スペイン人のオレリャーナ一行がアマゾンの密林地帯を旅している時、ある現地人が語りました。

「ここの部族らが勇敢に戦うのは女部族に服属しているからだ。彼女らはとても勇敢で、戦争の指揮官になる。進んで先頭に立ち、逃げ帰ってくる男たちをたたき殺す。色白でとても長身、がっしりしていて、戦争での働きは1人で10人並みだ。」

またある者は、

「女性だけの村がある。男と交わり、男が生まれれば殺す。あるいは、奴隷にする。こうして女だけの秩序を作りあげ、戦争ではみんな10人並みの働きだ」

スペイン人オレリャーナら一行はその話に興味を魅かれつつ、さらにアマゾンを旅しますが、結局アマゾンに出会えることはありませんでした。

巨人

荒涼とした乾燥大地が広がるパタゴニア

ここで人類初の世界一周艦隊の提督マゼランが思いがけず遭遇したのは……?

マゼランのもとに同行していたアントニオ・ピガフェッタはこう記しております。

ある日、思いがけずに、巨人のように大きな男を見つけた。その男は裸で港の浜辺にいて、踊ったり歌ったり、そして頭から粉をかぶっていた。

一行はこの大きな男の腰ほどまでにしか及ばなかった、ということです。

そして、彼は一行を“天から来た”と信じ、天を指さしておりました。

一行は二人の大男を捕虜にします。

彼らは大籠いっぱいのビスケットをペロリと平らげ、桶半分の水も息を突かせず飲み干しました。

この部族はテウェルチェといいます。

今もアルゼンチンに4000人ほど暮らしていらっしゃいます。

アントニオの表現は多少オーバーですが、確かに彼らは長身の特徴を備えております。

それにしても、マゼラン一行と言えばその後太平洋を3カ月半ほどして航行し、多くが栄養失調による壊血病などで亡くなっております。

あの2人の大男が先行きどうなったのかはかなり心配です。

ホーン岬の白い老人

ホーン岬。

「南米大陸の最南端」と呼ばれます。

この辺りは潮流が強く、天候も荒れやすいため、海の難所として世界的に知られております。

ここを航行していると背後からとても大きな“追い波”が雪崩のように迫ってくることがあります。

船員たちはこれを警戒し、背後を怠れません。

しかし、いつのころからか海を行く人々はこう囁きあうようになりました。

「ホーン岬で後ろをふりかえるなよ。白服をまとった杖を引きずった老人が追ってくるのが見える時がある。それをただ一人でも見たなら、その船は必ず沈む。」

インド東回り航路における大航海時代の不思議話

大航海時代における大きな目標のひとつに香辛料の獲得があります。

そのため、インドを目指して。

ここまで主に“西回り”の航路からたくさん紹介してきましたが、ここからは“東回り”。

アフリカやアジアにおける不思議な話の数々です。

フライング・ダッチマン

喜望峰はアフリカ大陸の南端。

南極からの強い風が吹き、天候が荒れやすい、こちらも世界有数の海の難所です。

ヨーロッパで初めてここにたどり着いたバルトロメウ・ディアスも嵐の果てにたどり着き、はじめここを“嵐の岬”と名付けました。

こういうギリギリなところはまた怪異が多いですね。

フライング・ダッチマン号の話もその典型と思われます。

幽霊船。

海上に忽然と現れる正体不明の船。

ここはかつてオランダの船が沈み、乗員の全員が死亡したともいわれます。

あるいは、一時はその発見の栄光に浴しながら、激しい大航海競争に敗れてゆき、果てはこの海域で遭難して亡くなったというバルトロメウ・ディアスの船ではないか、とも言われます。

プレスター・ジョンの王国

引用wikipedia

世界史をやっていればなじみかもしれません。

そもそもこの怪しげな伝承は“大航海時代の幕開け”にも大きく関与しております(※)。

(※)彼らの大きな望みのひとつはプレスター・ジョン国王と同盟関係を結ぶことです。

12世紀東ローマ皇帝マヌエル1世のもとにプレスター・ジョンと名乗る国王からの書簡が届きます。

そこに書かれたのは東方にあるとても強大で豊かなキリスト教の国。

「ともにイスラム教徒から聖地エルサレムを奪還しよう」

と呼びかけております。

当時、ヨーロッパはイスラム教の勢力にかなり苦しんでいましたので、人づてから人づてへやがてヨーロッパ人の大きな悲願ともなって、その名はまことしやかに語りつがれるようになりました。

一時はユーラシアの東から台頭したモンゴル人勢力こそが「プレスター・ジョンの王国ではないか」と見られることもありました。

実際、マルコ・ポーロは『東方見聞録』において

「ケレイト部のオン・カンこそ、プレスター・ジョンだ」

と名指しします。

ちなみにオン・カンはキリスト教徒ではありません。

ただ、この辺りにネストリウス派(※)のキリスト教徒たちはいくらかいたかもしれません。

(※)431年のエフェソス公会議で異端認定を受け、その後東漸しました

結局ほとんど“根も葉もない話”と片付けられがちなプレスター・ジョンの国。

ただ、アフリカ大陸に1つ、その伝説にかなり近しい国があったのは知っていましたか。

エチオピア帝国

もともとエチオピアには古代伝説的な女王が存在します。

引用wikipedia

シヴァの女王

『旧約聖書』に登場し、イスラエルのソロモン王と会い、その叡智に驚き、契りを結んだといわれます。

シヴァの女王はソロモンの子をはらみ、生まれたのがメネリク1世。

その後、当地を支配するエチオピア帝国王家はこの血統を受け継ぐとされます。

エチオピアは紀元前、こうして長らくユダヤ教を信奉していたのですが、やがてコプト教(※)に改宗します。

(※)アジアやアフリカなどで根強く信奉されたキリスト教の一派

15世紀末ごろポルトガルからペル・ダ・コヴィリャンという人物はプレスター・ジョン国王を探し、エチオピアまで旅をします。

そして、コプト教に帰依しているという皇帝ダウィト2世と出会いを果たし、本国に「プレスター・ジョン国王発見」と報告いたしました。

しかし、その後20世紀に入って同じキリスト教徒であるはずのムッソリーニのイタリアに占領されるのは何とも言えない歴史の皮肉です。

磁石島

今のインド洋でこういう伝承がありました。

この島では釘や鉄のたがを船の材料に絶対使用しません。

というのもこの付近の海中には強い磁力を持つ岩があり、それらを何でも引き寄せてしまうとからだいわれます。

船に鉄気があるともう助かりません。

娘の生る木

ワクワクという島には娘が生え下がっている木があると言います。

イチジクのような実から長い髪の毛でぶら下がり、だんだん成長してゆきます。

そして、実が熟したころに「ワクワク」とさも悲しげな声で叫び、落ちて亡くなってしまうと言います。

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