
歴史を見ていると“子沢山”な人がたまにいらっしゃいます。
そこで、日本史・世界史両方合わせた“子沢山”有名人をピックアップしてみました。
日本一はだれ?
世界一は?
日本史子沢山有名人
徳川家斉

子作りは大事な仕事です。
その点、こちらは素晴らしく前のめりです。
が、肝心かなめの幕政の方はどうだったのでしょう?
日本代表、徳川11代将軍家斉です。
26男27女。
徳川家斉は一橋家の出身。
実は「たくさん子どもを作って一家を繁栄させろ」と実家から言いつけられておりました。
側室は40人。
幕政はできるだけ家来に預け、自分は大奥に入り浸っていたので「俗物将軍」とあだなされました。
実際、家斉(大御所)といえば、たかがはずれたような「大御所時代」。
かなりの放漫財政で幕府が沈む大きな原因を作っております。
で、この人の“元気の秘訣”でしょう。
「白牛酪(はくぎゅうらく)」というチーズのようなかなり高カロリーのものがかなりの大好物だったようです。
ちなみに、この人は生涯にほとんど風邪もひいておりません。
そのほかの日本子沢山歴史有名人
ほかにも日本にはたくさんの子沢山歴史有名人がいます。
●菅原道真11男4女(むかしのことだから女性の人数をどこまでちゃんと数えているのか怪しいです)
●徳川家康11男5女
●織田信長12男6女(12女)
●蓮如13男14女
道真は自分の失脚にともなって子どもたちを流刑にされたり、苦しい大宰府左遷をともにしたりしております。
家康、信長はまあ多いです。
そういえば、信長のお父さん信秀も子沢山です。
信長以上ではないかと言われております。
蓮如は五人の奥さんがおりましたが、いずれも重婚ではありません。
奥さんがみな次々と若死にしてしまいました。
蓮如はこれほどの子沢山ながら間引きを一切行いませんでした。
たださすがに方々へと里子には出していたようです。
世界史子沢山有名人
日本も多いですが、世界はさらにその上を言っていました。
玄宗

30男29女。
中国代表です。
こちらはご存知“後宮”というシステムが古来機能しております。
よって代々皇室はものすごい子だくさんの宝庫です。
ちなみに唐の玄宗といえばやはり楊貴妃なんですが、彼女との間には一人も子をもうけておりません。
そのほかの中国史子沢山歴史有名人
やはり、皇室が目立ちます。
●劉勝(前漢)50人以上(蜀漢の劉備は彼の末裔を名乗っています)
●曹操(後漢)25男7女
●乾隆帝(清)17男10女
●高祖(唐)22男19女
●洪武帝(明)36男16女
●康熙帝(清)35男20女
アウグスト強健王

360人。
17~18世紀のポーランド・リトアニア共和国王です。
ものすごい怪力で「ザクセンのヘラクレス」と呼ばれております。
選挙にも戦争にも建築にも“とにかく”前のめり。
いわゆる“絶対王政嗜好”のものすごく強い王様です。
おかげで大北方戦争を引き起こし、国にものすごい損失を与えてしまいました。
ただ一方で、マイセンの白磁発見のきっかけを作る恩恵ももたらしております。
フランスの将校として活躍し、フランス大元帥にまで上りつめたモーリス・ド・サックスはアウグスト強健王の数多い子供の一人です。
また、フランスの著名な女流作家ジョルジュ・サンドはモーリスのさらに子孫です。
ムーレイ・イスマーイル

888人。
モロッコ・アラウィ―朝の第2代スルタン。
ちょうどアウグスト強健王と同時代17世紀後半から18世紀の人です。
モロッコの最盛期をもたらしました。
マリア・テレジア

5男11女。
女性の中で一番はこの人でしょう。
オーストリア絶対王政を引っ張った“国母”。
マリアは父親カール6世が後継ぎに恵まれないのに苦労したのを目の当たりにしていた影響があるといわれます。
マリアの娘たちは肖像画で見る限りみんな“お人形さん”のような美人ぞろいです。
中でも有名なのがフランス革命に散った悲劇の王女マリーアントワネット。
息子たちもおとぎ話に出てくるような、えも言えぬ上品さがにじみでております。
チンギスハン

彼自身の子供自体相当多いでしょう。
しかし、こちらはその実数ではなく、今に残したDNAです。
世界最大の帝国を築き上げたモンゴルがほこる大ハン。
最近の研究では、今世界に1600万人彼のDNAを受け継ぐ人間が存在しているといわれます。
チンギスハン自体とても子だくさんで、世界各地の遠征先で女性との交流があります。
そして、その子どもたちがまた大変な子だくさん。
たとえば長男のジョチ(ジュチとして知られる)は男児だけで40人以上いたと伝えられます。