『麒麟が来る』注目の登場人物と地域

歴史
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2020大河ドラマ『麒麟が来る』

ついに、明智光秀公が大河の主役でやってきてくれることになりました。

で、ファンの一人として(2020初詣は光秀公でした)の極めて独断と偏見で今回のドラマの注目ポイントをいくつか挙げてみました。

ひとつは登場人物、もうひとつは地域です。

『麒麟が来る』注目すべき登場人物

濃姫

沢尻エリカさん。

どえらいことをやってくれました。

「まあ、役者さんなら」

私はどちらかといえばそういうスタンスです。

ただ現実としてカムバックはかなり厳しそう。

「それより」というのもはっきり言って不謹慎なのですが、あくまで『麒麟が来る』がどうなるんだ、というスタンスから語らせてもらいます。

本当になんちゅうことをやってくれたんだ・・(19日から初放送になるなんて前代未聞です)

と思いつつ、「逆に宣伝はたらふくしてくれたな」

引用instagram

代役の川口春奈さん。

いきなり大変だったかもしれません。

川口さんがやる濃姫は光秀公と姻戚関係だったという説があります。

確か、昔読んだ中島道子さんの小説『濃姫と煕子』では二人の関係は微妙な恋愛感情をにおわせていたと思います。

違ったらごめんなさい。

で、この人って意外に信長と結婚してからが謎で、ちゃんとした資料が残ってないんですね。

信長と離婚したとも、普通に奥さんとして暮らしたとも、光秀のいた明智氏を頼ったとも。

さてさて、私は女性陣では奥さん煕子でも、娘(後のガラシャ)でもなく、長女に注目しております。

光秀公ご存命の頃、彼女らの中でも最も波乱にとんだ生涯を送ったのではないか、という。

この人は光秀公の長い下積み時代(※)を長らく共にしたであろうお子さんでして、その辺がお嬢様玉とはちがいます。

(※)このころの光秀公は足利の下士官だったとも、美濃で戦乱に巻き込まれ一族離散の憂き目にあったとも、越前丸岡で寺子屋をやっていたとも言われます。後に「私は瓦礫同然のしがない身だった」とも自白しております。それに比べるとお玉はわりと早いうちからお城持ちの御令嬢でした。

しかも、名前が玉なんて、「お父様にめちゃめちゃかわいがられてますよリア充」があふれ出まくっているというか。

それに比べると「倫」ってもう「長女なんだから」がありありというか(本名であったかは不明ですが。お兄さんはいないか、いても夭折なさっているか何かだと思います)。

それだけ期待されていた、ということかもしれませんが。

そして、倫は結婚後がもっと大変です。

織田軍大阪方面軍司令荒木家の御令息さんに嫁ぐのですが、もう戦国ファンの間ではおなじみの通り、あの方がやっちまうのですね。

アラーキーこと荒木村重さんです。

まあ、どうも真相は複雑なようですが(部下にはめられたという説もあります)。

織田家に突如反旗を翻し、お城にこもってしまうのです。

が、光秀公は当然説得に行きます。

姻戚関係にありますし、大事な盟友ですし。

でも、アラーキーさんは完全拒絶です。

なんと、息子夫婦を離縁させ、光秀公に倫をつけて城から追い出してしまいました(皮肉なことに、ちょうど同じ年、玉は細川家に嫁いでゆきました。にしても光秀公は後にこう思わずにいれなかったでしょう。「いかに乱世の習いとはいえ、うちの娘たちはなぜこうも・・」玉も本能寺の変の折、夫細川忠興に離縁・幽閉されます)。

そして、荒木家はそのほとんどが六条河原で磔にされ、アラーキーさんは生き残ってしまい、みずからを道糞と号します。

倫はその後、家臣筆頭格であった明智秀満のもとに再嫁。

やっとこのまま円満にいくかと思った矢先に、本能寺の変が起こり、一族もろとも坂本城で果てます。

彼らの息子という説のある三宅重利は後に玉の嫁ぎ先細川家にかくまわれ、玉の死が契機になったのか細川家を致仕し、やがて唐津藩寺沢家に召し抱えられて天草の代官となり、島原の乱を壮絶に迎えます。

(光秀公の妻煕子についてはこちらの記事)

(煕子以外の明智の女たちについてはこちらの記事)

(島原の乱についてはこちらの記事)

次に男子。

赤井直正、波多野秀治

赤井直正波多野秀治、この丹波国人両名は今回相当名を挙げると思われます。

まあ、光秀公の敵役です。

とことん苦しめてくれますので、乞うご期待です。

(“丹波の赤鬼”赤井直正についての記事はこちら

(“名門波多野党の長”波多野秀治についての記事はこちら

吉田兼見

あの吉田兼好の吉田家当主です。

この人、光秀公とはかなりなじみ深かったようですね。

どうも家族ぐるみの付き合いです。

また、なかなかのメモ魔で、光秀公のことをいろいろと詳細まで書き残してくれております。

光秀公と言えば公家・文化人との接触が外せませんので、兼見卿がどんな役回りなのかな、とちょっと気になります。

細川忠興

光秀公の愛娘玉の旦那さん。

名門細川典厩家の跡取り息子。

このご仁は今までの大河では比較的坊ちゃん的好人物として描かれる場合が多かったのですが、歴ファンには重々ご承知の通りなかなか反社会的な性質の男です。

ものすごく偏愛的で、ものすごく嫉妬深く、ものすごく陰湿で、ものすごくずる賢く、キレるとやばすぎるんです。

有名なエピソードが、庭師がたまたま玉と目が合ってほほ笑んだのを見て、彼を殺害してしまった。

とか、

丹後一色氏をだまし討ちの皆殺しにした。

とか、

光秀公にも「降参してきた者をむやみやたらに殺すな」と釘を刺されております。

その代わり武勇にはかなり優れ、利休七哲にも挙げられる一流文化人。

超現実路線で熊本藩祖にもなりました。

明智光安

光秀公の若いころについてはいまだにほとんど判明しておりません。

が、公の叔父だった、とよく言われる人です。

これまでの大概のドラマでは無難ないい人的な配役がなされておりました。

ただ、従来説などによると、光秀公の父で明智当主光綱が若くで亡くなったため光秀公の後見の形で実質城主のような態に収まっていた人物。

その後、光秀公がもう二十代随分になっても権利を明け渡した様子を聞いた試しがありません。

で、そのままちんたらやってるうちに、とうとう明智氏は斎藤義龍に攻められ、離散の運命を迎えます。

もしそれが事実だとすると、なかなかの“曲者”な気がしなくもないのですが。

その辺の複雑な家庭環境を出してくれたらおもしろいかも、なんて手前勝手に思いつつ。

西村まさ彦さんがやるようです。

私の期待に応えてくれるかもしれません。

引用instagram

松永久秀

光秀公とも結構縁の深いご仁です。

光秀公は大和の仕置きをしに入ったこともありますし、その時に「松永をどう処置するか」というのは大きな懸案であったでしょう。

また、彼の滅亡“信貴山城の戦い”にも義弟筒井順慶とともに参戦しております。

筒井順慶としては正直この戦はかなりのハイライトですからね(順慶も魅力的なキャラです。元の木阿弥のモデルで、若いころは松永に相当煮え湯を飲まされたはずです。でいて名門筒井の家紋を背負い、信長・光秀公の傘下に入って何とか盛り返し、で、義兄を『日和見』して家勢だけはしっかり守り抜きます。この人、島左近や松倉重信など家臣にはなかなか慕われていたようですし)。

何せ、(筒井からすれば)大和に勝手に入り込んで無茶苦茶にしてくれた張本人をグーの音も出ないくらいに追い込んで、しかも「おれたち、やっぱ(松永)霜台(久秀)様じゃないと嫌っす」と紛れ込んでいた元筒井配下の者たちが内側から反乱を起こして松永に引導を渡すのです(筒井順慶本音「因果応報でしょう」)。

今回の松永はどこまで暴れるのか、はたまた、割と穏当になるのか、やっぱり気になります。

どうも吉田鋼太郎さんがやるようですね。

これはもうほぼ暴れるものと理解してよろしいでしょうか。

明智十五郎

光秀公の嫡男と言われます。

あくまで創作と言われますが、光秀公が信長に欄干に頭をぶつけられたあの戦役は年頃的に十五郎の初陣であってもおかしくありません。

十五郎はどんな思いでその様を。

そして、父親としてどんな思いになるでしょうか。

また、この人はあの愛宕百韻(本能寺の変直前に愛宕神社でおこなった「時は今 天が下しる・・」の連歌会です)の最終句を詠んでおります。

「国々のなお のどかなるころ」

溝尾庄兵衛、三宅長閑斎

明智家臣と言えば明智秀満、斎藤利三のツートップがどうしても目につきがち。

ですが、溝尾・三宅の両名はかなりの古参(庄兵衛は信長の上洛前から明智家人としての名が見えます。長閑斎は明智秀満の父と言われます)。

光秀公への奉公具合ではツートップに勝るとも劣らぬものがあります。

今のところ、『麒麟が来る』では大がかりな配役が見られませんが、クローズアップしてほしいな、と思います。

『麒麟が来る』注目の地域

明智光秀という人は従来の大河ドラマではどちらかと言えばあまり取り上げられなかった地域と縁の深い人です。

ただし本来、そちらも歴史的にかなり魅惑一杯でありますので、この際いろいろと脚光を浴びるのを楽しみにしております。

越前

光秀公は一時越前(福井県東部)に流れた、と言われます。

丸岡で寺子屋を開いていたとか。

一乗谷の裏手にある東大味の領主をやっていたとか。

そして、将軍足利義昭の接待役(あるいは下士官か)をやっていたとか。

このころの越前というのは独特の歴史を歩んでおりましたので。

一乗谷では京風に凝らした文化が華と開いておりましたし。

西への前線敦賀は商港として栄えておりましたし。

一向宗の信仰篤い地域で、朝倉家とは微妙な関係を続けておりましたし。

そもそもほかにも永平寺や称念寺などいろんな大きな宗教勢力がひしめき合っている複雑な土地柄ですし。

朝倉義景という人物も巷では「さもド暗君」の扱いですが、実際はあれだけの文化と繁栄をもたらしたわけですし、信長とやりあうまでは着々と地力を増していたわけですし。

丹波・丹後

毛利と織田の間はどこも壮絶ですが、ここ(京都府北部・兵庫県中東部)も全然変わりません。

例のごとく、毛利も織田も「こっちがいいよ」「こっちの言うことを聞け」と無茶なことを言いふらしますが、肝心な時に助けなかったり、そのくせきっつい報復をしてきたり、となかなかに困ったジャイアンぶりです。

で、この辺りの諸豪だって当たり前に存亡を懸けて右顧左眄、連衡合従を繰り返します。

一色、宇津、波多野、赤井など。

織田や毛利より、ある意味ずっと身近な生々しさがあります。

また、この地域は光秀公の善政が非常に根強く語り伝えられておりますので、そういった一面も広く伝わるでしょう。

(光秀公vs波多野秀治。丹波八上城での死闘についてはこちらの記事)

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