井上靖は私が最も敬愛している作家の一人です。
初めて読んだのが思春期の頃。
以来、もう何度も反芻するように読み返しておりますが、その都度味わいは移ろいます。
わが最大の思い出の作と、「これこそが井上文学の妙だな」という推薦の書をあわせて紹介いたします。
我が思い出の2作
敦煌
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当時私は高校3年、すっかり学業に伸び悩んで久しく、焦燥を大いに含んだ半ば本気、そして半ば放擲気味に日々を徒過しておりました。
季節はこれから晩秋という学校帰りすぐの夕前です。
自宅二階へと階段を上ってゆきますと、その狭い踊り場に仕切られた小さな書棚。
幼い頃に越してきて以来ずっと自部屋のすぐ隣にあったはずのそこ。
いうなれば、それまで幼かった私にはまるであずかり知らぬ父と母だけの空間でした。
ただなぜかその時に限りふと妙に気に留まりまして、“置き捨てられた”そこにあますことなく整然とひしめき合っている中から一冊の小さな文庫書に私は指を伸ばしたのです。
かなり分厚めの綿埃が面にも頭にも雪のようにかぶっておりましたので、おもむろに払いのけると、どこからとなく差しこんでくる柔らかい夕光にどこまでもただゆっくりと揺蕩っております。
開くと、紙はこんがり褐色にまで色焼けておりまして、何年も暗所に密閉熟成された紙の甘い芳香なのでしょう。
私は今でも思い出すにつけて陶然となるを禁じえません。
内容は、北宋代の話です。
主人公趙行徳は湖南の故郷では秀才の誉れ高く、二十代後半にしてようやく進士の試験を受けに首都開封へと上り参ったのですが、綸前での最終面談をいよいよ待ちあっている間に不覚にも居眠りしてし、落第してしまいします。
試験は四年に一回しかありません。
すっかり途方に暮れ、ふらふらと首都の市場をさまよっていると、ひさがれていた異民族の奴隷女に落ちあいまして、趙行徳は彼女の不思議な生命力に奮い立つように惹かれ、救い出します。
何もない私にはお前への礼はこれしかない、とばかりに彼女から託されたのは一つの粗末な布片。
そして、そこに書かれていたのはまったく未知なる文字列。
彼女の語る「故国西夏を」と翻然とりつかれたように趙行徳は西へと旅立ってゆきます。
が、当時その河西は盤踞する諸民族と新進西夏(※)との間の紛争地帯。
(※)11~13世紀、今の中国河西地域にあった姜族系王朝
趙行徳は巻き込まれやがて、西夏の部隊に彷徨い込み、その漢族部隊の一兵卒として配されます。
その部隊長は朱王礼。
いつも西夏軍の先陣を命ぜられ、、命知らずの奮戦ぶりで勇猛を馳せておりますが、自身「文字が読めない」ということで趙行徳を認め、傍に置きます。
勃興著しい西夏の国威とともに、戦線はさらに西漸し、ウイグルの甘州を陥落させた時のことです。
趙行徳がその決死隊として突入し、すっかり荒廃した甘州の片隅に隠れていている一人の少女を見出します。
常にはあらぬ凛呼とした様に、すぐに「王族だろう」と認めた趙行徳は密かに彼女をかくまいます。
しかし、趙行徳はやがてかねてからの翻案通り、西夏の首都興京への語学留学の許可を朱王礼に告げられ、やむをえず、彼女の居場所を朱王礼にだけさらし、後の世話を託します。
その後、趙行徳は興京に旅立っていくのですが……
一人の女を巡り、国と民族と誇りと生きる思いと、あまりに様々な国と民族と人々が交錯し、非常にロマンティックな展開が胸を打ちます。
また、悠久の時の移ろいを前にした人間というものの虚しさと健気さがたまりません。
知らず陽が落ち、時計の針はいつしかその日を過ぎておりました。
ラジカセからTUBEとQUEENのベストを順繰りエンドレスに流していたのですが、もう何回巡ったかわかりません。
普段私は読書習慣の全くない男だったのですが。
そして私の心の中にどこからか沸々と湧いてきた思いが
「絶対敦煌に行ってやろう」
です。
若き怒涛
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あまりお勧めの書ではありませんが、私の人生において非常に大きな意味を持つ書です。
私が人生のドツボの時に、それはただの偶然私の前に届きました。
不思議でした。
なぜここで井上さんと出会えるのか。
そして、読んでみるとさらなるびっくり!
「これが本当にあの井上さん?」と思うぐらいのへたくそだったのです。
正直、これが大変な勇気になりました。
そして、今なお私の羅針盤の一つとなり続けております。
井上靖一押しの短編集2書
最近私は「井上靖一番の醍醐味は短編だ」と強く思っております。
その中でもこの2冊の文庫本は私が読んだ井上作品の中でも特に秀逸として推します。
あすなろ物語
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井上靖自身の少年期から壮年期までをポートレイト風にまとめた短編集です。
明日はヒノキになろうと生きるけれども永遠になれないあすなろの木。
そこに、自分自身や身の回りに懸命に生きる人々の背中をオーバーラップさせます。
井上さんは幼いころは伊豆湯ヶ島の神童として、名門医師一家の跡取り息子として、期待を一身に受けすくすく育ちましたが、高等小学校受験にあえなく失敗。
翌年無事入学後も次第にわき道にそれてゆきます(その辺りは同作にも演出されております)。
後に語るところによると、理系一家にあって「どうしても数字があわなかった」という独特の苦悩があったようです。
結局、得意な柔道に邁進するために四校(今の金沢大学)に入学するも部と折り合わず退部。
九州帝国大法学部に入学するもすぐに退学。
結局京都帝大で文学部哲学科東洋美術を専攻しつつも学業より懸賞小説などにのめりこみ、30ごろになってやっと卒業します。
その後は毎日新聞社に学芸部記者として入社し、日中戦争に応召されますが、現地で脚気を発病し、除隊。
戦後になって芥川賞を受賞し、ようやく作家として立脚します。
同じく井上さんの自伝小説『しろばんば(※1)』や『夏草冬濤(※2)』も読んでみると同作の重層はより深まるでしょう。
(※1)井上靖が自身の伊豆湯ヶ島時代を舞台にした自伝小説
(※2)井上靖が自身の沼津中学時代を舞台にした自伝小説
楼蘭
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珠玉の歴史短編集です。
『ほうじの笑い』『僧加羅国縁起』『狼災記』『宦者中行説』『幽鬼』『小磐梯』
いずれも非常にまとまりが良く、また、人間模様を濃密に凝縮しております。
わけても際立つのが『補陀落渡海記』です。
熊野に実在した補陀落信仰をモチーフにした同作では、寺の住職金光坊が補陀落渡海をすることになってからの心情の移ろいを実に巧みにそして生々しく描き出しております。
井上作品はどれも人間に優しく、自然への畏怖が鮮明です。
井上靖という作家のうまみ
井上靖は作家デビューが40過ぎの遅咲きの文芸作家です。
そのため作風としては大人。
いわゆる若手の放つ“鮮烈さ”は乏しいですが、鷹揚として噛むごとにじっくり味わいが出てくる深みがたまりません。
また読みやすいのに端正な上品さをいつもしっかり保っているのも非常に好感が持てます。
私を含め、はまる人はとてもはまっております。
一方で、ファンにはこの人の西域系旅行記も無しで語ることはできません。
いつか気づけば「また読みたいな・・・」
不思議な光芒を放っております。
私は大好きです。
追伸。
谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、最近では村上春樹、ノーベル文学賞、あるいはその候補としていろいろ取り沙汰されますが、この人もその非常な有力候補の一人でした。
おすすめはこちら
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こちらの映画も見ましたが佳作でした。
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※最近、とみに思うのは井上靖は柔道家のような作家だな、ということ。
ご自身若いころやられ、相当な選手であられたのですが。
ある格闘家の知人がおっしゃられておりましたが、
「柔道というのはパッと見、ぬべっとしている。
ボクシング選手などのように割れ目のはっきりわかる筋肉身体を持っているわけではない。
ただ、身体全体にまんべんなく筋肉がついている。
だからこそ強い・・」
↓井上靖の名言はこちら