世界中のいろんな国の国旗、情勢、歴史などについて調べていると、たくさんの興味深いエピソードに触れあえますし、いかばかりかの気になる傾向らしきものも私なりに見えてまいります。
特に印象に残る各国事例
まずとりわけて印象に残っている国々の事例についてピックアップさせていただきます。
エストニア
ロシアというあまりに強大な隣国を恐れて万一地理上で滅ぼされてもITの世界で国民の一致と存続を図ろうとして、今は世界を代表するIT大国となりました(Skypeはこの国発です)。
やっぱり歴史的に見ても、弱き者には弱き者が生き残る発想・戦略というものが豊かです。
弱者は強者と同じようにやっても、強者に勝てるわけがなく、いいようにやられるだけ。
そういえば、これからは「一人一人がブランド化の時代」となるそうですが、どうなのでしょう。
確かにそうなってきているような気もしますが。
ポーランド
この国はいつの時代も大国に囲まれていたため、生き残りのために「移民に寛容」な政策を掲げ、一時(16世紀ごろ)はかなり繁栄したようです。
ただ一方で、「よその民族がたくさん入ってくると、それまでいた民族が苦しくなる」側面は歴史的にとても顕著(今なら香港やウクライナ・ユーロ・アメリカなどが顕著だと思います)。
この辺はどっちを採るかでしょう。
大量の移民は良きにつけ悪しきにつけ大いなる「社会変革」です。
ルクセンブルク
ものすごく狭い国土で、人口も少なく、資源もあまりありません。
そのため、外資や移民を積極的に受け入れ今は一人当たりGDP世界一です。
ヨーロッパというなかなか競争の激しい歴史環境にあって、さすがにしたたかです。
ここは外国人の比率が全人口の1/3です。
ラトビア
バルト三国の一つ。
ロシアを非常に警戒し、移民に対しては徹底して不寛容です。
そのため、国内ロシア系民族にたくさんの無国籍者が発生し、社会問題化しております。
そのほかの国々
☆世界幸福度ランキングでは北欧諸国がよく知られておりますが、
「アイスランド」
「フィジー」
ともに絶海の孤島の国々が最上位の常連というのも目につきます。
まさにこれは地勢的優位を存分に活かしている、という感です。
競争社会のわずらわしさからあからさまに一線を画そう、江戸時代の日本さながらです。
でも、フィジーもイギリスの植民行為に苦しんだ歴史を持っております。
競争社会の強者というのは「まずいカモ」とみなすと適当にバカにしてスルーしますが、「おいしいカモ」と見方を改めると、途端に本性丸出しで、とことん容赦がございません。
こういう“いと迷惑”なやからどもを適宜にあしらういろんな技が必要でしょう。
「ブータン」のGNH(国民総幸福量)という概念は画期的ですね(「うちはあんたらとやりあう気もなく何のうまみもありませんよ」という国内外へのアピールでしょうか。私的にはブータンのやり方は好きです)。
また、今世界中で”国粋主義的”な政権が台頭しておりますが、日本ではさほど知られていない国においてもやはり変わりません。
「チェコ」
「クロアチア」
傾向としてこういった政権は長期になりがちなようです。
よく知られている通り、「人間は不安になれば強い指導者を望む」と言われております。
つきあいは大変だ・・・
近隣諸国とのやり取りは、民族・宗教・言語の違い、さらにはいろんな歴史もあいまってなかなかそう一筋縄でいくものではありません。
インドとパキスタン
日本ではあまり報道されませんが、今年も度々干戈を交えております。
にしても、ある国境の検問所では毎日”あんな”セレモニーをやっているのですね。
今すぐ紛争に発展してもおかしくないような”いかにもあぶなっかしい雰囲気”を醸し出しつつ。
まあでも両国の間では実際にいろんな現実があるでしょうし。
人間が死んでるわけだし。
こうまでしないと国もメンツが立たないのが本音でしょうね。
↑引用youtube
ベネズエラとスペイン
付き合いの難しい国同士は何も地理的にお隣ばかりであるわけではありません。
この両国ははるか大西洋をへだてておりますが、「ベネズエラ」の国旗にその植民地時代の負の歴史を象徴する意をふくませ(ベネズエラ国旗の真ん中の”青帯”は”「スペイン」とをへだてる「カリブ海」”という意味を含みます)、あのチャベス大統領の時には国際会議で両国は激しくやりあい(スペイン国王がチャベス大統領に「黙れ」と言って会議を退席。チャベス大統領もスペイン首相のことを何度も「ファシスト」呼ばわりした。)、あちらでは結構な話題となったようです。
ギリシャと北マケドニア
今年、マケドニアという国名が世界から消滅したことを知っている人がどれほどいるでしょう。
そもそも「ギリシャ」は「マケドニア」が「マケドニア」を名乗ることを非常に快く思っておりませんでした(アレクサンダー大王の「マケドニア王国」は首都ペラもアイガイもギリシャ領内です。ただ、その版図に今の「マケドニア」領がたくさん含まれているおります)。
そのため「ギリシャ」は「マケドニア」に国民を挙げて世界を巻き込むほどのいろんなプレッシャー(経済封鎖、国際機関への訴えなどはザラです)を加え続け、とうとう変更になった次第です。
「ギリシャ」には「マケドニア」の脅威感というのがあるようですし、「マケドニア」はまさに弱者ならではの「現実的妥協」。
「やってられない」思いは当然あるでしょうが、「とにかく実を採る」ことに余念のないのはさすがです。
同国はあんまり誇れることでもないかもしれませんが「フェイクニュース」を世界中にばらまいてお金儲けをしているというブームで話題にもなりましたし。
ウルグアイとアルゼンチン
特に乱世において「昨日の友は今日の敵。今日の敵は明日の友」とはいいますが、独立戦争時代(19世紀前半)以来、和戦さらには共闘の歴史を目まぐるしく経ております。
ちなみに両国の国旗の太陽はインカの太陽神インティです。
概観
しかし、現実としては当然のことながらご近所とはあまり喧嘩なく、できれば仲良くやっていけた方が、いろいろと得なことが多いはずです。
ヨーロッパなどは過去に血で血を洗う仁義なき謀略と戦争の歴史を繰り返しておりました。
しかし、今は大方EUとしてまとまり、幸いにして、一部の国や地域をのぞいて戦禍というものからかなり遠ざかっております。
これは軍事・政治・経済などの様々なリスクから大いに解放されることを意味し、それどころかお互いにいろいろと融通しあうことによって生じるメリット。
「隣の芝生は青い」かもしれませんが、近頃あちらが何かとまぶしく見えがちなのはこういった制度的担保もかなり大きいのかもしれません。
まあ、ヨーロッパはお互いに「根絶やしにしよう!」という戦争を何回もやってますので、「本当にこりごり」なんでしょう。
大日本帝国の功罪
各国の独立史を研究すると、いやがうえにも避けられない「帝国主義」。
学生時代からよくよく教え聞かされたはずでしたが、これまでの自分の目の届かなかった範囲までいろいろと覗いてみると、さらなる戦慄がいくつも待っておりました。
イギリスによるニュージーランドへのだまし討ち。アメリカによるフィリピンへの裏切りと虐殺。
ロシア・ソ連による東ヨーロッパ諸国への圧倒的苛政と民族浄化。
フランスによる中東でのあまりに横暴な統治。
などが今すぐにでも閃いてまいります。
二枚舌三枚舌外交などとよく揶揄されますが、あんなことはいつどこにいっても”あいさつ代わり”。
彼らのよく口にした「自由」だの「平等」だの「誇り」だのといった言葉は例のごとく“方便”でした。
本気で信じたいですが、それを貫徹できるのはよほど環境か素質に恵まれていないと無理ってのが人情です。
それを本気で信じこみ始めているのはあなたが“恵まれている”証拠です。
確かに“因果応報”はあります。
しかし、ほとんどの人間はそれにただ甘んじることはできません。
結局それを一番如実に語っているのは”今ある世界情勢”だと思います。
あれは露骨なまでにあの頃の”所業の遺産”として引きずっております。
そして、われらが国日本。
残念ながらやはり他国のことをそうとやかく言える立場にまではなさそう、という概観です。
ただ、朝鮮半島や中国でのことはよく知らされますが、ほかはどうもあんまり……。
ここの華人虐殺は知っていたでしょうか。
シンガポール
日本軍は太平洋戦争開戦によりシンガポールを占領いたしますが、まもなく「抗日分子」を警戒し、中華系住民を対象として”粛清”を決行いたします。
犠牲者数ははっきりしませんが、5000人、あるいは、8000人、などと言われます。
シンガポール建国とその後の大躍進の立役者であるリー・クアン・ユー前首相もすんでのところでこの犠牲から逃れたようです。
戦後は日本による賠償や開発支援、追悼などが行われ、今は経済を中心にその結びつきを強くし、かなりの親日国家へと移り変わってきているようです。
とことん“現実的”ですね。
ある人は言ってますが、
「宗教戦争あれは嘘。人は物がないから戦争を起こす」
パラオ
太平洋上の島国。
日本は第一次世界大戦を連合国側として参戦し、戦勝国となります。
そして、それまで敗戦国ドイツ領であった当地を日本の委任統治領といたします。
こちらではあまり差別的な統治をするでなく、かえって病院や学校などのインフラを整備し、今もものすごく感謝されております。
ただ一応言っておきますが、「パラオの国旗は日本の真似をした」という説は今、否定されております。
マレーシア
イギリスにも日本にもあまり悪い感情をいだいていないようです。
両国からあまり搾取をされなかったのが大きな原因といわれております。
ミャンマー
アウンサン・スー・チー大統領のお父さんアウンサン将軍がイギリスから独立したくて日本と手を組みますが、なぜか突然イギリス側に寝返ってしまいました。
よくいわれるのが
「日本のやり口に怪しさを感じ始めたから」
どこまで真相なのかは本人らのみが知ることです。
カンボジア
その国旗がたびたび変遷を繰り返しております。
この国は19世紀末ごろからフランスの植民地だったのですが、
第二次世界大戦中には日本
ベトナム戦争後半にはアメリカ
ベトナム南北統一以後はベトナム
の影響を強く受けることとなりました。
国旗はその時々で
日の丸風だったり
星条旗風だったり
金星紅旗風だったり
今の「横に青・赤・青。真ん中に白い”アンコールワット”」のデザインとなったのは王制が復古し、
平和国家へとようやく移行しつつあった1993年のことです。
追伸。
かと言って「なんでも大日本帝国が悪者だった」という論理も無茶苦茶に思えます。
現実としてあの頃のアジアでは大日本帝国よりよっぽど露骨にあくどい統治をやっていた戦勝国はたくさんありました。
たとえば、カンボジアやフィリピン、ベトナム、インドなどについてはどこかの国やどこかの国やどこかの国なんてということです。
まあ、大義なんてどうにでもなるんでしょうな。
たとえば、いろんな国による地図を見ると、自国の領土が私らの知ってるより大きくなっているところがよく見受けられます。
歴史の教科書が叙事詩みたいになってる国もあります。
なぜよその国の教科書にやたらちょっかいをかけたくなる国家政府が出てくるのかを思い知らされます。
国が増える時と減る時
どうも国が増える時には一定の傾向がみられます。
1) ナポレオン戦争中、後
ヨーロッパ中を席巻したのですから「第0次世界大戦」といってよいでしょう。
この影響を受け、特に中南米においてかなりたくさんの国々が独立闘争を行いました。
2) 第一次世界大戦中、後
バルカン半島の国々など。
3) 第二次世界大戦中、後
アジアの国々など。
4) アフリカの年
1960年。
フランス統治下にあるアフリカ大陸の国々が一気に独立いたしました。
“フランス帝国主義の崩壊”と考えられます。
5) ソ連邦崩壊
中央アジア東ヨーロッパ諸国。
こう見てくると、あくまでここまでの歴史傾向として増える時は決まって世界を巻き込む大戦争の起こった時、
あるいは、
世界に君臨する大国の支配体制が瓦解した時、
です。
逆に国が減る時というのはたとえば「大航海時代」から「第一次世界大戦」が始まるまで。
ひとにぎりの国が他を圧倒して世界版図を塗りつぶしていく時です。
現代史はどうなるのでしょう。
米中2極化を強く提唱する人もおりますが、私は彼ら2極を過大評価しない方がいいような気がします。
やはり“多極化”かな、と思うのですがどうでしょう。