「福引に キウスを得て 発句に窮(きゅう)す」
つづいて、
「新年や 昔より窮(きゅう)す 尚窮(なおきゅう)す」
だれの句だと思いますか。
どうも福引で急須(きゅうす)が当たったらしいです。
明治の代表的俳人正岡子規。
ですが、とてもユーモアがあり、クセのある人物としても有名。
彼の茶目っ気について、簡単に紹介してまいりましょう。
正岡子規茶目っ気列伝
野球の名付け親?
ベースボール大好きの彼が自分の幼名“のぼる”から「の・ボール」として
「野球」
と名付けた、と言われます。
お友達にたかる
『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』、『こころ』などで知られる明治近代文学の金字塔夏目漱石とは東京帝大同窓以来の友人。
「俺がおごる」
と言って二人でうなぎ屋に入り、結局全部漱石に払わせてしまったとか。
食い気には目がない
もっのすごい食い気に目がなく、
「あまりに大食で、貯金が全然できない」
と雑記に自称し、鍋焼きうどんを七鍋たいらげ、なおも注文しようとして、店主に
「食べすぎだ」
としかられたり、
食べ過ぎで体を悪くするものだから「お椀で毎食三杯まで」と制限をつけられると、お椀屋さんに行って
「これが欲しいです」
と店で一番大きなお椀をお願いしたり、
脊椎カリエスというとっても痛くて苦しい難病に苦しんでいたのですが、
朝、粥三碗、佃煮、奈良漬、梅干。間食、牛乳ココア入、あんぱん一個、菓子パン大一個。夕食、ライスカレー三碗 ぬかご、佃煮、奈良漬。
これが重病であるはずの彼のある一日の献立のようです。
彼の記録には食べ物に関する記述があちらこちらに目立ちます。
試験でカンニングもしました
英語が苦手で、試験ではカンニング。
自分は通ってなぜかされた方は落ちてしまいました。
哲学は……
帝大時代もずいぶん「おさぼり」が目立ったようですね。
もともと哲学を専攻しようとしていたようですが、
それをやめた理由が
「哲学というのはわけがわかんらんぞなもし。わしには手に負えん。」