これほど長く世界に強大をほこりつづけた騎馬遊牧民族国家はこの地上にほか一つとして存在したでしょうか。
建国から滅亡までは640年。
ローマの系譜を受け継いだ伝統2000年のビザンツ帝国を滅ぼし。
中央ヨーロッパに大いなる覇を唱えたハプスブルク朝オーストリアの首都ウィーンを二度にわたって包囲。
北アフリカ・アラブ・ペルシャ・アナトリア・中央アジア・バルカンを広く領土とし、たくさんの民族・宗教の上に君臨し続けた超世界国家オスマントルコ帝国とは。
↓まず、BGM的にこちらを最初に紹介します。
(引用youtube)
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ちなみにオスマントルコ軍楽隊とは1289年建国の時にはすでにその存在が確認されております。
イスタンブール観光では個人的に必見。
おすすめはトプカプ宮殿で。
どこからとなくあの音が耳にかすめ始めるとザワザワと鳥肌が立ちました。
オスマントルコ軍楽隊のハイライト的戦争はこちら。
マリツァ川の戦い
1371年マリツァ川の戦い。
セルビアを中心とするバルカン半島のキリスト教連合数万人に対してオスマントルコ軍その数はごく少数、一説にわずか800人。
オスマントルコ軍はバルカン連合に夜襲をかけ、相手方の総指揮官を戦死させ、軍団を壊滅させました。
夜の闇に突然天地を割くようにうなりを上げるオスマン軍楽隊の太鼓や笛の音はバルカン側からすればまさに魔軍の轟き(とどろき)だったでしょう。
死をも恐れぬ恐怖の元異教徒出身精鋭軍イェニチェリ
(出典wikipediaイェニチェリ)
ここが騎馬遊牧民族らしい発想です。
敵のキリスト教少年の捕虜を改宗させ、さらに優秀な者を選抜して、死をも恐れぬ精強の戦士軍団として洗脳教育し、王直属の主力となします。
泣く子も黙るイェニチェリです。
なお、ここがオスマントルコの柔らかいところなのですが、イェニチェリからも有能な者は陸軍中将まで出世が可能です。
被征服民であっても、元異教であっても、自分たちの強力な手駒となるのなら、地位を惜しみなく与えます。
なお、軍事国家オスマントルコの中核を支え続けたイェニチェリも次第に軟弱となり、待遇の改善を求めたびたび反乱を起こすようになってゆきます。
1826年には政府によってわざと反乱を焚きつけられ、鎮圧。
イェニチェリは永久解散です。
すでにこのころ、オスマントルコは近代化に大いに遅れを取り、「ヨーロッパの重病人」として列強に領地を着実にかすめ取られるに任せる状態にまで落ちぶれておりました。
この100年ほど後、オスマントルコはついにその長い歴史に幕を下ろします。
奴隷こそ帝国の中核原動力
オスマントルコは先ほども書きましたが、帝国の役に立つのならば、その出自や民族・宗教にはあまりこだわりません。
というよりもかえってそういった者たちを奴隷少年時代からきっちり選抜・教育し、帝国を支えていく柱としてゆきます。
同民族でも手前勝手に自勢力を肥え太らせようとする者たちよりよっぽどよく言うことを聞くし、有能だ、ということです。
さらには14世紀末のバヤジット1世以後、オスマンのスルタンはみんな女奴隷の子どもです。
オスマントルコの奇妙なスルタン2人紹介
オスマントルコのスルタン(君主)としては
●メフメット2世……コンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼしました
●スレイマン大帝……帝国の最盛期をもたらしました
あたりが特に有名です。
しかし、それはほかのサイトによく載っていることですし、ここでは敢えてトリビア的にちょっと奇妙なオスマントルコのスルタンを2人紹介します。
イブラヒム1世
(出典wikipediaイブラヒム1世)
オスマントルコ史上最大最悪の暴君です。
あだ名は「狂人イブラヒム」。
母太后や首相などが実権をにぎって離さなかったためか、だんだんゆがんだ行動に走り始めます。
●たらふくの宝石をプールに投げ入れ、それを獲りあうハレムの女たちを眺めてウハウハ喜んでおりました。
●宮殿から道行く人々にいきなり矢を射かけて、楽しんでおりました。
●息子を風呂に投げ込みました。
……。
結局彼はあんまりひどいのでスルタンから引きずりおろされ、殺されてしまいました。
メフメット4世
(出典wikipediaメフメット4世)
“狩猟”が好きで好きで仕方ありません。
それもちょっとやそっとのレベルではありません。
●その日、お母さんが亡くなっても
●マルタだろうがハンガリーだろうが、世界中のどこで自軍が天王山のドンパチをやっていても
●なんならあの“第二次ウィーン包囲”の時ですらも
関係ありません。
万単位のお供を引き連れ、さんざんやるだけやって夕方には「今日の成果は」などとまるで日曜夕方のゴルフパパのように打ち興じあっております。
やっぱりあんまりひどいので反乱を起こされ、後は死ぬまで幽閉されてしまいました。