歴史の学術・芸術系における「気になる」ライバル関係4選

歴史
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武田信玄と上杉謙信。

諸葛亮孔明と曹操孟徳。

フリードリヒ2世とマリア・テレジア。

など、歴史においてライバル関係というものはつきものです。

ただ学術・芸術においても、それは激烈。

おたがい限界を超えてやりあい、高めあい、おとしめあう、そんな関係から見える実に癖の強い事例を4つ紹介します。

 

歴史における学術・芸術のライバル関係4選

狩野派と長谷川等伯

↑出典wikipedia(狩野派の代名詞、狩野永徳による『唐獅子図』です)

↑出典wikipedia(長谷川等伯晩年の秀作『松林図』です)

 

戦国から江戸時代前期にかけて画壇の頂点をめぐり争った両陣営。

狩野派はご存知の通りの巨大集団ですが、長谷川等伯は能登の一仏画師からはい上がった新規参入です。

ただ、そんな等伯、いきなりわけのわからないことを言いだすのですね。

「私は雪舟の子孫である」

雪舟はやはりご存知の通り室町中期を代表する水墨画のレジェンドです。

雪舟は晩年漂泊に出ており、もともとさほどの知名度はありませんでした。

ただ、どこかしらからその才能の逸なるを見つけ、礼賛を始めたのが狩野派です。

当時の狩野派の勢いのあおりで、雪舟の価値も跳ね上がり、世は雪舟ブームとなります。

そんな折も折です。

先にも述べた通り、雪舟は全国各地を行脚しております。

「能登に来た時の落としだね」

というのがかの人の言い分。

可能性がまるっきりない、とまでは断言できませんからね。

結局等伯の画派はほぼ彼一代のみで終わってしまいます。

ただ、等伯の絵、特に晩年のものを私は好きです。

変な媚びや衒いのない誠な秀逸だと思います。

 

ゴーギャンとゴッホ

 

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Paul Gauguin, Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?. #paulgauguin #art #color #impressionism #caravaggious #oiloncanvas

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↑出典instagram(ゴーギャンの代名詞はやっぱこれっす。『我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。』)

 

 

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This is my favorite oil painting, it is so beautiful ! When can I also drew one? #vincentwillemvangogh #starrysky

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↑出典instagram(ゴッホ『星月夜』)

 

後期印象派を代表する2人の天才。

よく知られている通り、彼らは南仏アルルで2カ月ほど共同生活をしたことがあります。

そして、“あの事件”が起こります。

 

例の如く、二人の性格はとてもとても一筋縄でいくようなものではありません。

ゴーギャンはプライドがものすごく高く、仕切り屋です。

だいたい自分は

「先輩なんだぞ。後期印象派のまだ売れないグループのボスなんだぜ」

という自負があります。

 

対してゴッホとて徹底的に頑固です。

自分の向かう方向に対しては相手がだれであろうといささかも曲げることはしませんし、突然のぶちぎれ癖があります。

さらに二人は実力も拮抗しております。

なんせたがいのその目はあまりに確かすぎます。

おたがいに切磋琢磨するその作品の出来や技量の進歩具合などもありありと鮮明に感受できてしまいます。

しかも、ほぼずっとべったり、という空間ですから。

 

12月23日二人は口論になり、ゴッホがカミソリを持ってゴーギャンに迫ると、それで自分の左耳を半分切り取ってしまいました。

そして、ゴッホは切り取ったものをなぜか自分の知り合いの娼婦に箱詰めで送りつけます。

なかなか強烈なクリスマスプレゼントですね。

こうして二人の共同生活は完全に破綻してしまいます。

 

↑(出典wikipedia。例の事件直後の自画像です)

 

↑(出典wikipedia『好色親爺』。ゴーギャン晩年の作です。ゴーギャンさんってこんなのも作ってたんですね。私はこういう作風は大好きです)

 

↓ゴーギャンとゴッホの共同生活について、とても気に入った小説がこちらです。作者の小林秀樹さんは美術研究家で主に西洋美術に関する著作をたくさん残してらっしゃいます。で、やっぱり「(著作者自身)画家だからわかる」であろう表現がいろいろちりばめられており、私的には「今年一番」くらいにゾクゾクした作品でした。

 

 

(ほかの美術系記事はこちら

 

ニュートンとフック

↑出典wikipediaアイザック・ニュートン

 

ニュートンといえば万有引力などを発見した大科学者として知られておりますが、実は相当に気難しい人物でもあります。

内向的で傷つきやすく、プライドがものすごくて怒りっぽい。

そんな彼は多くの人々との軋轢を産みますが、その中でも特に有名なのが同時代の先輩科学者ロバート・フックとのものです。

↑出典wikipediaロバート・フック

 

バネにおけるフックの法則などで有名なフック。

彼もかなりのくせ者です。

なんせフックはいろんなものに手を出す上に、大変な仕切り屋です。

しかも毒をいっぱい吐きますので、科学者としてデビューしたてのニュートンはまんまと餌食になってしまいました。

 

ニュートンは当時光学についての研究論考を発表したのですが、“権威”であるフックが出てまいります。

そして、ケチョンケチョンにしてしまいます。

ニュートンはこれを大変に根に持ちます。

 

そして、今度は万有引力に関してフックからちょっかいがかけられます。

すると、これがまたどんどんこじれてゆき、とうとう「万有引力を見つけたのは俺だ」と言い合いになります。

 

歴史的結果としてはニュートンに軍配が上がるのですが。

ちなみにニュートンは微積分でライプニッツとも激しくやりあっております。

 

ヴィトゲンシュタインとポパー

↑出典wikipediaルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン

 

↑出典wikipediaカール・ポパー

 

20世紀を代表する哲学者二人。

天才肌のヴィトゲンシュタインと良識派のポパーといった構図で知られております。

この二人であまりにもエポックメイキングになってしまったのが“火かき棒事件”。

10分間の激論、とも呼ばれております。

 

ケンブリッジのモラル・サイエンス・クラブで研究者らの会合があったのですが、そこで二人の議論が昂じます。

やがて、激したヴィトゲンシュタインが火かき棒をにぎり、ポパーに注意されると、ヴィトゲンシュタインは扉を力強く閉め、出て行った、とポパーは主張します。

 

ただ不思議なのは、この会合に30人ほど参加しているにもかかわらず、その真相がいまだに不明、となっているところです。

つまり、証言者の言うことがみんなバラバラ。

そもそもポパーもヴィトゲンシュタインも熱烈な支持者がおります。

現地に居合わせた多くがポパー、あるいは、ヴィトゲンシュタインに心酔しているというわけです。

実のところ、“二人とも”なかなか攻撃的でクセのある人物だったようですしね。

 

↓2人の関係についてはこちらの書籍を参考にしました。「火かき棒事件」について詳しく載っておりました。

 

 

まとめ

ほかにも発明家のベルとエジソン、ミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、など。

傍でやられると困るでしょうが、妙に惹かれます。

 

狩野派は雪舟を神格化し、長谷川等伯は雪舟の子孫を名乗り始めた
ゴーギャンとゴッホの共同生活は“耳切り事件”に発展し、破綻した
ニュートンとフックのライバル関係はこじれまくった
ヴィトゲンシュタインとポパーの“火かき棒事件”の真相はいまだに謎

 

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