セーレン・キルケゴール。
実存主義のルーツとして知られております。
実存とは何かというと、
「今、無数の人間があふれかえっている大衆社会において、人それぞれの中に“主体”がある」
ということです。
うかつにしていれば、私たちはこの大衆社会に流されます。
種の保存という観点からすれば、それは一定の効能はあるでしょう。
しかし、そこにいろんな危険性をはらみます。
キルケゴールら実存主義者たちはそういったことに左右されない、
「しっかりした“主体”をより充実させよう」
と問いかけます。
実際世の中は、人間で出来上がっております。
そこは間違いなく“群れ”です。
そこではびっくりするぐらい物質や権威は強いです。
間違ったことでもうかつに反抗すると生き場所を失います。
それが生きるということです。
しかし、一方で私たちは“個人”です。
そして、“宇宙の子”です。
人間以外のはるかに大きいものに属していることもまたゆるがせのない事実なのです。
キルケゴールは人間社会では信じられないくらい偏屈で、ほぼみんなに嫌われ、いわゆる“引きこもり”を何年も何年も続けて哲学研究にばかり明け暮れていた人です(哲学者・思想家は大概そうです)。
ほとんどだれも評価してくれないのに。
ただ、それほどまでに世間に流されず、徹底的に“真理”にこだわり続けたからこそ見えてきたものと独特の味わいある人生があります。
彼の魅力をここでいかばかりかひも解きましょう。
キルケゴールの生い立ち
1813年5月5日セーレン・キルケゴールはデンマークのコペンハーゲンの裕福な商人の家に生まれました。
7人兄弟の末っ子です。
父親のミカエルはもともと貧しい小作農の出です。
しかし、商売を興し、コペンハーゲンで一番といわれるほどの財を一代で成しました。
キリスト教にとても厳格で、彼の苗字「キルケゴール」とは「教会の庭」を意味します。
大地震
セーレン・キルケゴールはコペンハーゲン大学に入学。
しかし、22才の時、キルケゴールは父から衝撃的な告白を受けます。
彼はこの時のことを「大地震」と表現しております。
キルケゴールの父ミカエルがまだ貧しかったころです。
そのあまりに理不尽で不平等な身の上に耐えきれなくなったのでしょう。
「なぜこんなに」と神を呪ってしまいました。
すると不思議なことに、ミカエルの人生がにわかに変わってきます。
ビジネスに手を出し、ドンドン成功してゆきます。
ミカエルはこれをこう考えます。
「悪魔に魂を売った代償だ」
さらに、キルケゴールの母アーネとは愛人関係にあり、まだ正式に結婚する前に性交渉を持ってしまいました。
ミカエルはキリスト教にとても敬虔(けいけん)です。
このことにもとても深い罪の意識をいだいておりました。
そして、不思議なことがおこります。
キルケゴールの兄姉が次から次へと若くして亡くなってゆくのです。
実際、7人中5人がすでに亡くなっております。
父ミカエルは言いました。
「お前も(キリストの亡くなった)34才までに亡くなる」
これを聞き、セーレン・キルケゴールはすっかりおかしくなって、放蕩三昧(ほうとうざんまい)に走るようになってしまいます。
レギーネ
キルケゴールの学業はおろそかになり、友人らとつるみ、そこらじゅうで勝手に借金まで作ってきます。
そんな時に自分より10才も年下の少女レギーネに入れ込みます。
レギーネに婚約を申し込み、受け入れられますが、その1年後キルケゴールの方から一方的に破棄。
この時のキルケゴールの真意はいまだに謎です。
ただ、キルケゴールがレギーネを愛し続けていたのは間違いないことであり、レギーネもキルケゴールに心を寄せておりました。
キルケゴール自身、
「この秘密を知るものは、私の全思想の鍵を得るものである」
と日記にしたためております。
今、有力とされる説は、「自分の“不浄な”人生への負い目」ではないかとされております。
自分は“呪われた子”であり、“34才までに死ぬ”と信じ切っておりますから、とても彼女とは結ばれてはいけない、という思いがあったのでしょう。
コルサール事件
レギーネとの体験の影響が大いにあってでしょう。
やがて、キルケゴールは神職に就いて身を固めるべく着実に邁進(まいしん)しておりました。
ところが、ある大変な事態に巻き込まれます。
キルケゴールがある学友について「“低俗な”新聞『コルサール誌』の黒幕はこいつだ」と暴露したところ、その学友が『コルサール誌』を通じて反撃に出てきたのです。
キルケゴールについてあることないこと風刺画までまじえて個人攻撃。
こういった言論の暴力は古今東西変わらないというか、私ら人間は“情報”を頼りに生きておりますので、宿業なのでしょう。
おかげでキルケゴールは街を歩いているだけで人々に後ろ指を差されるようになります。
こうして、とうとうキルケゴールは神職の道をあきらめ、父の残した莫大な財産をたよりに、部屋にこもり、自身の研究一辺倒に熱中してゆくことになります。
キルケゴールの名文
基本的に哲学者の書く文章というのはとても上手です。
彼らはみんなむずかしい文章を頭の中でこねくり回し、書きまくっておりますから、自然ときたえられるのでしょう。
そして、哲学者の文章というのは基本的にとても数学的。
幾何学的な美しさに通じるところがあります。
しかも、文章のひとつひとつが真理にかなって重みも深みもあるわけです。
ここにキルケゴールのそんな美しくも深みのある名言をいくつか紹介してみましょう。
〇ほんとうに黙することのできる者だけが、ほんとうに語ることができ、ほんとうに黙することのできる者だけが、ほんとうに行動することができる。
〇もしもあなたが私にレッテルをはるなら、それは私の存在を否定することになる。
〇心の純粋さとは、ひとつのものを望むことである。
〇私にとって真理であるような真理を発見することが必要なのだ。しかもその真理は、私がそのために生き、そのために死ねるような真理である。
〇人を誘惑することのできないような者は、人を救うこともできない。
〇臆病の虫に取り付かれると、その人はよきことを行わなくなる。
教会闘争
キルケゴールは晩年次第に部屋にこもって学究に打ち込むばかりにあきたりず、ついに世に問う行動へと移ってゆきます。
キルケゴールとしては、時代や人々の暮らしに合わせた当時の教会のあり方に我慢がなりません。
キルケゴールの価値観からすると、
「全然本質的に神と向き合っていない」
ということなのですね。
『祖国』誌上にこんなことを記しております。
真理の証人とは、
「人びとに誤解され、憎まれ、嘲笑され、はずかしめられ、ののしられ、鞭うたれ、虐げられ、牢獄にひかれ、さいごには十字架に釘づけられた人」
でなければならない。
ここまでくると、私はついていけません。
あくまで迫害され続けたキリストやその近縁のもののようでないと、「キリスト者」ではない、ひいては「真理のものではない」という考えです。
そういうキルケゴール本人自体、修道生活にあこがれ、試しましたが、すぐに断念してしまうほど、意志薄弱な俗物です。
ただ、晩年に近づくにつれ不思議な「迫力」が出てくるんですね。
たんに当時の教会に堂々と異論を唱えるだけでなく、中には「私も教会のやり方は間違っている」という人も出てくるのですが、その人に対しても「いいや、そのやりかたもぬるい」とバッサリやってしまいます。
キルケゴールにはもはや世俗的勝敗などというものはどうでもいいのですね。
とにかく、やれるとこまで「真理」と向き合うんだ、という覚悟。
そんな一方でキルケゴールは「引っ越し魔」と思われるほど引っ越しを繰り返し、家人をやとい、少ない収入なのに結構な物質的贅沢を続けました。
そしてとうとうその資産も底をつきかけたある雪の日にコペンハーゲンの町をさまよっているところを倒れ病院に担ぎ込まれます。
それから1カ月ほどして死去。
享年は42才。
キルケゴールの死後、彼の思想はかつて深く愛したレギーネなどの手によって広められてゆきます。