故事成語にあるその滋味の深さ。
そこには実際の多くの人の知恵と経験の積み重ねがあります。
ここで紹介するのは唇歯輔車(しんしほしゃ)。
唇亡びて歯寒し、とも表現されます。
一体どんな意味なのか。
そしてナマの歴史における実例を挙げつつその真意をぜひ吟味しましょう。
唇歯輔車の語源
むかし中国国内が群雄割拠に明け暮れていた春秋の時代の話です。
中原に虞という小国がありました。
そのお隣に虢という小国がありました。
おたがいは同盟関係にありました。
そんな時、大国の晋が虞の国にこのような申し出をしました。
「虢の国を討とうと思うのでぜひお宅の道を貸してほしい」
この時虞の国の家臣はこう言って侯を諫めます。
「盟友の虢を滅ぼせば、大国晋は必ず我らが虞の国も滅ぼします。
輔(車の添え木)と車は互いに助け合っているからこそです。
唇が無くなると歯は守ってくれるものがありません。」
しかし、虞侯はこれを無視し、結果として家臣の言ったとおりになりました。
唇歯輔車のさらなる歴史エピソード3つ
この唇歯輔車シーンは世界中の歴史“あるある”です。
その中でも著名なものを3つ。
晋陽の戦い
これは中国の春秋から戦国時代へと移り変わる時期の話です。
中原に強勢を誇り、春秋の五覇の一角をも担った大国晋。
しかし、時代とともに公族は先細り、智氏、韓氏、魏氏、趙氏といった豪族衆に国内の実権を握られるようになりました。
そんな中、特に地力をつけてきたのが智氏です。
智氏は韓氏と魏氏を語らい、趙氏の晋陽城を水攻めにし、陥落も間近となりました。
韓氏も魏氏も智氏の威勢には逆らえません。
しかし、智氏はふ、とこう漏らしてしまいました。
「こうすれば国を亡ぼせるな」
これにもともと戦々恐々だった韓氏と魏氏は談合します。
つまり、
「このままでは俺たちも趙のようなメにあってしまう」
そんな時趙から使者がやってきて言います。
「今こそ私たちが結束しなければ、みんな智氏に早晩滅ぼされてしまいます。
唇亡びて歯寒し。
たがいに結束して打ち破りましょう。」
これを聞いた魏氏と韓氏もついに意を決し、智氏に対し突如造反。
まんまと智氏を打倒し、韓・魏・趙の命脈は保たれたのです。
これら3国は後にいずれも戦国の7雄に名を連ねるようになります。
駆虎呑狼の計
中国の三国時代、徐州には呂布という稀代の豪傑と後に蜀の国主となる劉備が隣り合って治めておりました。
一方そのころ、中原で台頭し圧倒的勢力で徐州に圧力をかけつつあったのが曹操。
その曹操の名参謀荀彧がこんな妙案を献策します。
「徐州は呂布と劉備がたがいに手を取り合っているからやっかいなのです。
ならここで彼らが仲たがいする計略をお教えしましょう。
劉備に南方の袁術討伐の命を下します。
すると、徐州はがら空き。
この時本性が狼の呂布はどのような動きを示すでしょう。
これを駆虎呑狼の計と申します」
曹操はその深謀遠慮に感嘆し、早速この計略を用います。
すると、案の定呂布は劉備の留守を突いてその居城を奪ってしまいます。
こうして本当に大喜びしたのは曹操。
満を持して呂布討滅の軍を興し、見事その悲願を果たしました。
敵の敵が脅威となる
ヨーロッパにおいてキリスト教内における宗派対立は時に深刻です。
時はまさに十字軍全盛時代。
ローマ教皇インノケンティウス3世の呼びかけで組まれた第4次十字軍。
当時、共和制を採り、たくみな航海術と商業力で勃興著しかったヴェネツィア共和国もこれに参加。
ところが、本来の目標であるイスラム地域には全然向かわず、なんと同じクリスチャンであるビザンツ帝国に侵攻します。
そして長年栄華を誇った首都コンスタンティノープルを占領。
ローマにルーツを持つビザンツ帝国はここにいったん滅亡します。
ところが、その間隙を縫うようにして小アジアに新たに精強な勢力が伸長してきます。
イスラム系のオスマントルコです。
オスマントルコは騎馬民族らしいその陸上戦だけでなく、水軍にも革新を重ねついには地中海の覇者に。
ものの見事にヴェネツィア共和国は自分たちのテリトリーを奪われてゆき没落。
最後はナポレオンにとどめを刺されます。
まとめ
原理原則ではわかっていても、それを徹底するのが難しいのが人情です。
① 唇歯輔車とは、現実的パートナーとの仲は大事にしろ、という意味
② 唇歯輔車の重要性を示すシーンは現実的にあまりに多い