
性善説・性悪説という言葉があります。
そのうちの性悪説を唱えたのが荀子です。
「いったいどんな人間不信な思想なんだ」
と思うかもしれません。
しかし、そこには思わぬ滋味にあふれた名言がたくさんあふれております(※)。
(※)思想というのは「合う・合わない」があります。とりあえずここでは、「あるものをそのままどうぞ」というスタンスなので、その程度でよろしくお願いいたします。また、他の思想家の思想も参考にしてみるのも面白いと思います。
荀子とは

荀子
荀子は紀元前4~5世紀、中国戦国時代末ごろの思想家です。
法家で有名な李斯や韓非子は荀子の弟子です。
といっても李斯や韓非子ほど法家・合理主義ゴリゴリではありません。
荀子は儒者です。
そして、80才以上生きたと言われます。
四君子の一人、楚の春申君に仕えたこともあります。
清も濁もよく知り、素養も人生経験も豊富。
ちなみに三国志の荀彧や荀攸は荀子の子孫ともいわれております。
性悪説とは
荀子を知るためには、彼の唱えた性悪説について説明をしておかなくてはなりません。
性悪説といえば、世間一般では
「人間というものは悪いものだから」
という視点で見ることとなっております。
ただ、荀子の性悪説は意味がだいぶ異なります。
「人間というのはうかつに生きていれば悪に染まりやすいものだから」
だから古来聖人が行ってきた「礼」、いわゆる行動のマナーに従って生きましょう、というスタンスです。
これをさらに突っ込んで、「法」で人を治めよう、としたのが李斯や韓非子です。
ちなみに孟子の説く性善説とは、
「人間は本来善性を持っているんだけれど、周りの環境によって悪くなってしまうので」
「徳」のある環境の中で生きましょう、という考え方です。
荀子の言葉集
これを知るはこれを行うに若(し)かず。学はこれを行うに至りてやむ。
(学びは行動にかないません。学んだら行動しなさい。)
垤(てつ)のごとくなりとも進むは、吾(われ)これに与(くみ)せん。丘の如くなりとも止(とど)まるは、吾已(や)まん。
(蟻塚を積み上げるようなゆっくりでも進むものなら一緒に頑張ろう。でも、丘のように高くてもずっと何もしないものとは頑張れません。)
道は邇(ちか)しと雖(いえど)も行かざれば至らず。事は小なりと雖も為さざれば成らず。
(近くの場所でも向かわなければたどりつけない。小さなことでもやらなければ何も成らない。)
驥(き)は一日にして千里なるも、駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば即ちまたこれに及ぶ。
(優秀な人は短期間でものすごい結果を出すが、容量の悪い人でも何度でも続ければそれに匹敵する。)
前車已に覆るに、後いまだ更むるを知らず。何ぞ覚る時あらん。
(前例に失敗があるのに、なぜ同じことをするの?)
疑を以って疑を決すれば、決必ず当たらず。
(まだ納得いってないのにそのまま結論を出したら失敗しますよ。)
白鵬関も「まだ迷っている時に結論を出しちゃダメだ」とおっしゃってました。
雩(う)して雨ふるは、何ぞや。曰く、何もなし。なお雩せずして雨ふるが如きなり。
(雨ごいして雨が降るのはなぜ。何にもありません。雨ごいしなくても雨は降ります。)
利せずして、これを利とするは、利して後これを利とするの利なりに如かざるなり。
(利益を与えずに利益を得ようとするのではなく、win-winの方がうまくいきます。)
何でも自分ばかりが得するようにやたらがっつくと、一時的には成功するかもしれませんが、その後続きにくい、とはよく言われます。
それよりは全体バランスよく、という理想です。
「欲すればまず与えよ」ということわざがあるぐらいですし。
また、ビジネスには「返報性の法則(※)」という常套テクがあります。
(※)客に先に何か与えると、相手はそれに報いずにいづらくなる法則のこと。
君子は貧窮なれども志は広く、富貴なれども体は恭しく、安燕するも血気は怠らず、労ケンするも容貌は枯ならず。
(君子とは苦しい時に志を大きく、うまくいっている時に恭しく、くつろいでいても前向きで、しんどい時でも姿はピンとしている。)
日清食品創業者安藤百福も「貧すれば鈍すの轍を踏まず」とおっしゃっております。
確かに、私もうまくいかない時ほどつい必要以上にネガティブになってしまいがち。
で、うまくいっている時はつい調子に乗りがちです。
時折思い出したい言葉です。
|