ami(友)~ジョルジュ・ルオーとアンリ・マティスの手紙~

歴史
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ジョルジュ・ルオー

20世紀前半をいろどったフランスの画家です。

彼がある画家と取り交わした手紙に込められた厚い友情について紹介いたします。

ジョルジュ・ルオーとは

生没年:1871~1958年

フランス・パリの労働者街に生まれました。

フォービズム(野獣主義)の旗手の一人。

彼の画風は社会的弱者に対して特に慈愛的です。

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C'est la journée mondiale de la danse ! La danse est un thème souvent abordé par les artistes, de Degas à Georges Rouault qui ici peint la silhouette d'une danseuse en tutu au Cirque de l'Etoile filante. – It's #InternationalDanceDay! Dance is a frequent topic for the artists, from Degas to Georges Rouault who painted here the figure of a dancer with a tutu at the Circus l'Etoile filante. – #CentrePompidou #Dance #Museum #ModernArt #GeorgesRouault #ClassicDance #Dancer #ArtMuseum – Georges Rouault, Douce-amère (Cirque de l'Etoile filante, Danseuse, corsage rouge et jaune), Vers 1939, Huile, encre, gouache sur gravure, 45,5x32cm © Philippe Migeat-Centre Pompidou, MNAM-CCI/Dist. RMN-GP © Adagp, Paris

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(1/3) #ArtistoftheWeek is #GeorgesRouault. Rouault was born in Paris in a Parisian cellar after his family's home was destroyed the Paris insurrection of 1871. Even though his family was poor, his mother encouraged his love for the arts, and at age 14 he embarked on a 5 year apprenticeship as a glass painter. This early experience with painting glass has been suggested as a likely source of the heavy black contouring and glowing colours, likened to leaded glass, which characterize Rouault's mature painting style. During his apprenticeship, he also studied under Gustave Moreau at the Ecole des Beaux Arts and became his favorite student. #Rouault #paris #frenchart #gustavemoreau #beauxarts #allartworks

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ルオーの友人マティス

ルオーには50年来の画家友達がおりました。

その名をアンリ・マティスといいます。

マティスもルオーと並んで、フォービズムを代表する画家の一人。

ピカソのライバルとも呼ばれております。

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実はルオーとマティス、同じ師匠の指導で育った間柄。

その人の名はギュスターヴ・モロー(※)。

(※)代表作『出現』。もともとかなり厭世的な画家でしたが、晩年は後進の指導にも尽力しております。

こちらも美術ファンにはおなじみの大家です。

モローは指導にとても熱意があり、また、生徒の個性をのびのびと伸ばしたようです。

ルオーやマティスの画風にもそのほどがしのばれます。

そして、2人は師モローのことを大変に慕っておりました。

モローに先立たれると、ルオーは大いなる喪失にさいなまれた、と言われます。

ルオーとマティスの手紙

さて、そんなルオーとマティスの間で交わされた数多くの手紙が今も残っております。

その中でも特に私の印象に残ったものを2つ紹介します。

まずはルオーからマティスに当てたものを1941年から、どうぞ。

ルオーからマティスへ

……(抜粋)。

口はわざわいの元。

さも自信ありげに語るのはよそう。

諸先輩方について。

まあ、いずれ、わかることだろう。

先生が足しげくルーヴル美術館に通ったことに君が触れたのも正しかった。

返事を待っている。

僕の気分を害すなどの心配はご無用。

というのも人々から何と言われようがまったく気にしていない。

あり得ることだし、僕は確信しているのだが、たとえ死者たちをよみがえらせることはできなくても、ほんのつかの間、彼らと言葉を交わすことはできる……。

「人は人にとって狼である」

という刺激的すぎる題名を付けなくても墓の彼方の使者たちと交信を続けることはできる。

僕も君と同じく降ってわいたような災難を経験した。

病院で昼も夜も眠れず、“地獄の苦しみ”を味わったし、まぶたを閉じた途端に新たな炎で焼かれる思いだったが。

それでも唯一の救いは包帯の間にペンを差し込んでいたことだった……(第3の火傷)。

二年間この火傷に苦しんだ。だから僕が硫黄と火のにおいがするという人は、正しく言い当てている。

悪魔よ退け。

だが幸いにもそれは毎晩ではなかった。

炎は次第に勢いを失い小さくなっていった。

しまいには取るに足りないほどの小さな炎となった。

だが僕はそれを注視するよう看護師たちに行った。

「男は火。

女は亜麻くず。

悪魔がそれを焚きつける。」

といった通俗的な言い回し。

こういったものを僕は手紙の中に入れ込もうと思っている。

たとえば“ケツとパンツのように仲睦まじい”などは、みなが足を引っ張りあう今の世の中で実際に起こっていることの対局を言い当てた例えとして、これ以上のものがあるだろうか。

これら通俗的なネタは新参の古典主義者たちを喜ばせるだろうし、僕には多くの賛同者が生まれるだろう。

能天気な連中(アカデミー・フランセーズのこと)は「あいつは趣味に欠ける」とか教養がないとか陰口をたたくだろう。

しかし、「ここは馬耳東風を決め込むことが先決だ」。

ではこれを結びの言葉に、そろそろお暇しよう。

君がだんだんと回復に向かうよう願っている。

近いうちにピエール君に手紙を書くつもりだ。

いつ書けるかわからないからね。

マティスからルオーへ

さて、今度はマティスからルオーへ同じく1941年は7月31日から。

どうぞ。

……(抜粋)。

だが君は、疲れ知らずの君なら先に進むことができるし、先に進むことができると思う。

君には書くべき材料も、聖火のように燃え盛る情熱も山ほどあるのだから。

“南仏の蜘蛛(サバテという人物。このころ自転車事故で亡くなったとほかの手紙に記されています。)”がやりかけのまま中断している『モロー教室』の出版、なぜ君が引き継がないのだろうか。

君がそれをやるべきだよ!

このことについてはよく考えてみてほしい。

だが考えすぎもよくない。どうすればいいかわからなってしまうなるからね。

今のご時世、この現実を忘れるため、精神だけは過去に浸って生きるのも悪くはないだろう。

君が出回っている数多くの間違いを正してくれれば、モロー門下生はきっと皆喜ぶに違いない。

あの熱心に指導してくださった恩師に対し、それくらいの恩返しはしないとね。

やってみてはどうだろう。

昔ながらの友よ、さあやってくれたまえ!

両手で心を込めた握手を送る。

解説・感想

このころ、彼らの祖国フランスはナチスドイツに多くを占領されていた、という現状もありました。

それにしてもうらやましいほどの厚い友情です。

まあ時に険悪なこともあったようですが。

それも50年という“長い月日”の味わいなんでしょうね。

まとめ

  1. ジョルジュ・ルオーとアンリ・マティスは50年来の友情
  2. ジョルジュ・ルオーとアンリ・マティスはともにギュスターヴ・モローのもとで学んだ同窓生
  3. ジョルジュ・ルオーとアンリ・マティスとの間で交わされた手紙には深い味わいがある

参考文献

↓こちらにはルオーとマティスの手紙がもっとたくさん載っております。


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