
1964年の「東京オリンピック」を開くためになみなみならぬがんばりを見せた人がおります。
2019年大河ドラマ『いだてん』の主役として脚光を浴びた田畑政治(まさじ)。
まだオリンピックに出て間もなくだった日本水泳を世界最強に変えたスーパー指導者。
そして、日本スポーツ界のえらいさんとして、日本のスポーツ環境をよくするために一生けん命心をくだきました。
彼のとっても“あつ~~い”生きざまをふりかえってみたくありませんか?

田畑政治
田畑政治の生い立ち

田畑政治は1898年静岡県の浜松市に生まれました。
家はとてもお金持ちの造り酒屋です。
政治のおじいさんもお父さんも病気で早くに亡くなっておりました。
そして、政治も生まれつき体があまり強くなく、
「この子は30才まで生きられない」
なんて言われておりました。
ところが、政治は水泳を始め、みるみるその才能を発揮(はっき)してゆきます。

しかし、政治が今でいう高校生のころ、お腹の病気になってしまいました。
お医者さんは政治に、「泳いだら死ぬ」とつたえます。
政治はくやしかったでしょうが、水泳選手をやめるしかなくなってしまいます。
しかし、後輩(こうはい)たちを教えるようになり、今度は選手を育てる方で成果をのばしてゆきます。
田畑政治、水泳指導に才能を発揮!
田畑政治は勉強もよくできて、東京帝国大学(今の東大)に入学します。
そして、勉強にがんばる一方、地元浜松の後輩たちに水泳をしっかり教えます。
なんと、後輩たちはついに日本一に!
政治は選手を育てるのが本当に上手なんですね。
田畑政治、日本水泳を理事としてひっぱる

政治は東京帝国大学を卒業すると、朝日新聞に記者として入社します。
一方で、時間を見つけては浜松の後輩たちを育てることにもぬかりありません。
そうしている間に、政治は「日本陸上水上競技連盟」という日本を代表するスポーツ組織の理事、つまり、えらいさんになります。
政治は日本スポーツ界の指導をしょって立つことになり、そこでさらなる成果を残します。
当時の日本はスポーツに関して、オリンピックに参加しだしたばかりのいわば“ひよっこ”です。
政治は日本水泳がオリンピックで活躍(かつやく)できるよう、指導に力を入れます。
政治は記者ですから、そのつてでえらい政治家に近づくチャンスがあります。
高橋是清(これきよ)大蔵大臣という歴史に名を残すすごい大政治家と話をして、選手強化のお金を政府からわけてもらったこともあります。

高橋是清
また、当時水泳のとても強かったアメリカの選手を日本に招待し、日本とアメリカで“対抗戦”をやったこともありました。
この興行では日本チームが強くなってきたことがまざまざと印象付けられます。
種目別に両方の国に点数をつけ、その合計点であらそい、その結果は40対33でなんと日本の勝利!

しかも、この大会でもう一つ大事なのが、大会の盛り上がりです。
会場はいつも超満員。
お客さんは熱狂的(ねっきょうてき)な応援で、アメリカ側も「すごい人気だな」と感心しました。
おかげでお客さんの入場料などでお金をおおもうけ!
アメリカ選手たちの旅費を全部まかない、それでもありあまるほど。
政治はたしかな手ごたえをつかみます。
日本水泳の栄光と苦しみ
1932年のロサンゼルスオリンピックで日本水泳のメダルは金5銀5銅2。
1936年のベルリンオリンピックでは金4銀2銅5。
日本水泳のとんでもない強さが世界に印象付けられます。
そして、次の1940年、日本で初めての東京オリンピックが決まっておりました。

ところが、当時日本は中国との戦争の真っただ中です。
これによって日本でのオリンピックを反対する国が出てきてとうとう東京オリンピックは中止に。
しかも、戦争はドンドン悪化し、日本の負け色はこくなってゆきます。
国は空襲(くうしゅう)などでボロボロになり、そんな時でも政治は
「日本で近々オリンピックを開きなおさなければならない」
そして、
「日本で近々オリンピックが開ける」
と信じておりました。
オリンピックに出場できなくても日本は戦争で負けてしまいました。

そして、ほかの国の反対にあい、1948年のロンドン・オリンピックでの日本チームの出場はできなくなってしまいます。
田畑政治はそれでも「日本水泳はやっぱり強いんだぞ」ということを世界に見せつけたくて、ちょうどロンドン・オリンピックと同じ時期に日本国内で自分たちだけの競技会を開きます。
すると、選手たちも「やってやるんだ!」と気合が入り、すごいタイムを連発します。
タイムだけで見ると、もしロンドン・オリンピックに参加していたら、金2銀1さらに4位入賞が2取れていた計算になります。
その後も田畑政治は日本のスポーツ界の整備と発展に力をつくします。
中でも戦後日本にとって待ちに待ったビッグイベント「東京オリンピック」。
政治は東京オリンピック組織委員会づくりをおこなったり、政治家さんにオリンピックが成功させてもらえるよういろいろと説得して回ったり、とがんばります。
そんな一方でこの記念すべき大会に“女子バレーボール”と“柔道”をオリンピックの正式種目に加えてもらえるよう働きかけます。
1964年の東京オリンピックでは、「東洋の魔女」なんていわれて日本女子バレーボールは大活躍(だいかつやく)し、金メダルを取ります。

柔道も金3銀1を取り、その後も「日本のお家芸」としてこの競技は今でも世界中でプレイされます。

次の東京オリンピックでもたくさんの新競技がおこなわれることとなります。
そして、それらは以後今までよりずっと世界の人々から注目されるようになるでしょう。
そんな時、競技の影にきっとあるだれかのがんばりを思ってみるとますます競技に奥行きが出てくると思いませんか。
田畑政治の性格
田畑政治は言いたいことは何でもズバズバと言い、思ったことはすぐ態度に出てしまいます。
そんなことではいろいろと苦労するので「改めた方がいい」とだれかにアドバイスされたのでしょうね。
政治はある時、やけくそ気味に
「おれは今日から低姿勢なんだ!」
と言いいました。
すると、ほかの人が、
「田畑さん、姿勢を変える必要はないでしょう。第一今のしゃべり方は低姿勢なんてもんじゃない。むしろ一夜にして高姿勢に早変わりしたみたいだ」
といったぐあいに皮肉を言います。
すると、政治は、
「声の大小じゃない。低姿勢という中身が大切なんだ」
と答えたので、みんな吹き出してしまいました。
こんなわけですので、きっときらいになる人は多かったと思います。
でも、「本当に大事なもののためなら」といういつもいちずな思いがこの人の人生を切り開いていったのでしょう。
水泳選手を指導する時でも、選手が1500m泳いだら、政治は1500m歩いた、といわれます。
つまり、選手のことが気になって追いかけてしまうんですね。
それほどまでにのめりこめる、政治の強みです。
まとめ
①田畑政治は学生時代、水泳選手だったが、お腹の病気のため選手をやめなければならなくたった
②田畑政治は大学生になってから、水泳の指導者としてめきめき頭角を現した
③田畑政治は当時の高橋是清大蔵大臣から水選手の強化資金を分配してもらったことがある
④田畑政治は選手の強化だけではなく、興業も上手
⑤田畑政治は1964年東京オリンピックの成功にただならぬ貢献を果たした
⑥田畑政治は思ったことをストレートに話したり、すぐ態度に出てしまう性格。また、かなりの熱血漢。
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