
ジェームズ・アンソール。
かなり通好みの画家です。
というより明らかにひねくれもので、かつ、病んでいる私にはドンピシャですね。
どこまでもシュールでファンタジー。
そこにあふれる空恐ろしさと滑稽さ、これは普通の健康的な人の感じる空恐ろしさと滑稽さとはだいぶ違うのでは。
こいつ、わかるなー、わかるよー。
私のような人間にも“魂のオアシス”を与えてくれる“最高のナイス・ガイ”について。
この方はゴッホよりもさらに時間がかかって売れた晩成のウルトラ偏屈画家です。
ジェームズ・アンソールの青少年期
“おぼっちゃん”の幼少期
1860年ベルギーの北海沿岸の避暑地オーステンデに生まれました。
お父さんは裕福なイギリス人。
事業家です。
数か国語を手繰れるほどの教養人とか。
お母さんはオーステンデの人。
家は土産物屋を商っております。
アンソールはそんな家庭で何不自由なく暮らすはずだったのですが。
お父さんが次々事業に失敗。
次第に家産はかたむき、自身、酒におぼれてゆきます。
芸術家肌の少年
アンソールは絵や音楽に幼いころから造詣が深かったようです。
17才になるとブリュッセルの王立美術アカデミーに通うことになります。
まだこのころのアンソールは普通の風景などを描いております。
ただ、どこか夢の中のような物憂げなタッチはすでにその後の画風をしのばせます。
画力は年齢から考えてもかなり素晴らしいです。
しかし、“持ってる”やつは“持って”ます。
ジェームズ・アンソール「私“持ってます”」
それはたんに芸術で食ってくのは難しい、という一般論はもちろんあるのですが。
“持ってる”特性を“持ってる”人って、大衆受けをしない、かと言って権威にも受けない。
明らかなベクトルの違いがあるのです。
いわゆる、自分やごく一部だけでワーワー盛り上がり、そのほか圧倒的大多数の世間様がきょとんとしてしまうのですね。
こうなるとドツボでしょう。
頑張っても頑張っても認められない。
自分が「いい」と信じているものは世の中では全然そんなことない。
でいて、「なんでこれが?」というのまでがどんどん先に、しかもびっくりするぐらいに評価されていく。
……。
まあ、本人の画力と世界観が「まだ“そこ”にはいたっていない」というのも大いにあるのですがね。
と言って、またこういうキャラは“あきらめた先にあるべき現実”にもとことん向いていないのです。
物欲・恋愛欲・コミュニケーション欲などが大幅に欠落しているので、
「いろんなものをかなぐり捨ててまでそっちの世界に本気になれない」
また、世間とあまりに価値観が違いすぎて、ちょっとやそっとの頑張りでは、
「恐ろしいほど報われない」
「価値観の隔たりを余計に思い知り、絶望する」
「変に一時的にうまくいっても、自分の心に嘘をつきすぎて人知れずものすごく疲弊する。また、“報われた感”が乏しく、“徒労感”が激しすぎる」
結局、アンソールの場合は“自分の世界”をとことん磨き続けることに執念を燃やします。
ジェームズ・アンソール「我が家はどんどん修羅場に……」
とりあえず、自宅の屋根裏のアトリエにこもって描いて描いて描きまくり。
時折、かたわらにあるオルガンに手を伸ばし、“聖なる”曲を奏でます。
また、気が向いてはぶらりと海浜に出て、砂や貝殻や漂流物とたたずむ。
19世紀でありながら、かなり純粋なひきこもりニート。
家庭はますます大変なことになっていて、父と母と叔母と妹とそれぞれ時々にいりみだれてケンカが絶えません。
そりゃそうでしょう。
お父さんはとうとう破産、で、何か上向く兆しはありません。
長男ジェームズは相変わらず画業で“全然”売れる様子もないのに、よそで生業をすることは愚か、たまに家業の店番をすればいい方。
そんな汲々を、お母さんの土産屋でどうにかしのぐ……
妹は中国人の小間使い的な商人の彼氏を作り。
これは明らかに差別発言でよろしくありません。
中国に何度か訪れたことのある私は中国ならではの人柄や民族性をかなりリスペクトしております。
ただ当時の世相を想像してください。
だから、こういう絵ができてしまうのですね。
首吊り死体を奪い合う骸骨
(引用:instagram『首吊り死体を奪い合う骸骨』)
この絵のど真ん中で首を吊っている男性はアンソール自身と言われます。
「CIVET」とは肉のシチューのことです。
ケンカしている2人の骸骨はお母さんと叔母さんと言われます。
仰向けに倒れてしまっているのは妹です。
こんな騒ぎにたくさんの野次馬がどこからとなくワラワラと駆け付けております。
そんなアンソールの数少ない理解者が父親だったといわれます。
幼いアンソールにオルガンを買ってあげ、美術学校に上げてくれた人です。
また、こういう“独り起業家タイプ”の人はアンソールのような人間には結構“近しい”部分があると思います。
普通の人は単独や少数で博打的な事業なんてそうめったに興さないです。
よほどでないかぎり、やる必要がありませんからね。
また、そういう発想自体が出てきづらいです(※)。
(※)逆に多数になると、どんな素人でも無茶でも博打でも、たいして危機感が無くなるのは多数派人間の性です。いいとか悪いとかじゃなくてそういうものだと思うのですが。
あえてこういうことをやる人ってやっぱり世間と価値観が全然違い、ならではの自負と革新と違和感と孤独と苦しみを背負っております。
ですが、そんなお父さんはずっと現実を持て余したまま、ますますお酒に身を持ち崩し、ついに病で帰らぬ人となってしまいます。
仮面・骸骨・カーニバル
相変わらずアンソールは全然売れません。
全然。
くどいようですが「まったく」です。
そして、その画風は次第に狂気を帯びてきます。
もともと、このオーステンデはかつて宗教戦争の激戦地であった歴史があって、砂浜から人骨がよく出てくるんです。
そして、この地にはまたカーニヴァルのお祭りがあって、人々の仮装のためにアンソール家の土産屋でもたくさんのマスクが売りに出されるのです。
ここにアンソールは独特のインスピレーションを受けてゆくのですね。
どんどん奇怪に。
(引用instagram『人騒がせな仮面』)
そして、どんどん派手に。
(引用instagram『キリストのブリュッセル入城』)
どんどん陽気に。
(引用instagram『イーゼルに向かう自画像』)
やるせない何かをすべてキャンバスにぶっつけます。
(引用instagram『燻製ニシンを奪い合う骸骨たち』)
われながら「いと拙い」ことはやむなしとして、ここにわが小説より抜粋した一節。
私の魂というのはあまりに貧弱である。が、こういった儚さから覚醒させるもの、それは真実、を前にして結局あらゆる他は何らの力を示さない。私とてその指と指の隙間から零れいでた一人の使徒の端くれなのだ。そして、広めねばならない。人よ恥じよ。そして憤怒せよ。ある同業仲間は言う。「君は全くデッサン能力がない」またある古き知人はたまりかねて言う。「君なら若いころもっと巧みに描けていたはずじゃないか。それがどうした。こんな幼児が描いた薄気味の悪い化け物のような絵ばかり描いていては」 絵画というものはまずそこに感情が現れるようにならなければならない。やがては魂が。そういった階段をただ上りゆく。君にはわからないのか。……(中略)……だが、私は進む。この道しか知らないのだ。この艱難という豊穣なる贈物を味わう感謝、私に酷評する者らには俄かに微笑してやるよりはむしろ、その屈辱と孤独をその心のままに受け取ってやった方がいい。それがおそらくわが神なるものへの最適のマナーだ。 ……(中略)……人の闇に隠れたものを蝋燭の一本一本で灯し出してやろうじゃないか。憤怒と、愚昧と、強欲と、執着と、嫉妬と、欺瞞と、懐疑と、偏見と……、まだまだあるか。あるならあるだけこのカンバスを俺たちの罪業で埋め尽くせ。色彩は明朗に殷賑に煌びやかに。そうだ、これが俺たちの色だろう。 ……(中略)……広い窓から彼方に海が見える。ここにいる限り私にはもうどこにも逃げ場がない。だから今日も追い立てられるままに描く。
30~40代くらい、アンソールの全盛期の作というものはすごいです。
こうして少しずつ評判を呼び出し、次第にベルギー画壇の重鎮にまでなってゆきます(この人は男爵になり、勲章までもらっております。死後はベルギーのお札になっております)。
しかし、不思議なものです。
この人の素晴らしい作品というのはほぼすべてが売れなかった時代のものなのですね。
売れるにしたがってあの「切れ味」がたちまち薄れていっているのです。
まあとにかく90才近くまで生き、この人は「ベルギーの国民的画家」として今は世界中でその作品とともに親しまれております。
ジェームズ・アンソール一言
V・ゴッホ君。
君、10年ほど売れなかったんだって?
でも、それはまだ本物の画歴の“始まり”にすぎないかもしれないよ。
死んでから案の定売れてきたって?
ラッキーじゃん!
ていうか、10年では私まだそんなにすごいの描けてないよ。
まあただゴッホ君。
私はだーいぶ長生きしたおかげで、生きてる間にだーいぶ面目躍如を見れたのは正直一安心かな。
ベルギー画壇の徳川家康とは私のことだよ。
本当なら「ルーベンス2世」と呼んでほしいけどね。