頑固と世渡り上手のウルトラハイブリッド!哲学者スピノザとは?

思想・処世術
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ソクラテスにプラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ショウペンハウエル、キエルケゴール、ニーチェ、ハイデガー、ヴィトゲンシュタイン、など。

世に知られている哲学者はいっぱいおりますが、それらに比べると日本での知名度はほとんどありません。

ですが、知っている人は知っているし、好きな人は好き。

実は私もその一人でして、はじめは単にその前を通りかかっただけなのに、なぜか妙に虜(とりこ)に……

とても熱く、そして、スマートに、自分の使命をとことん追い詰め続けた、どこかうらやましすぎるその生涯と人となりを追ってまいりましょう。

バールーフ・デ・スピノザとは?

神童バールーフ

引用wikipedia
バールーフ・デ・スピノザ

バールーフ・デ・スピノザ(1632~1677)。

ラテン名ベネディクトゥス・デ・スピノザ

両親はポルトガル生まれのユダヤ人です。

迫害からのがれるためにオランダにやってきて金貸しなどの商売をやっており、結構うまくいっていたようです。

それでいてユダヤ教への信仰は篤い。

特にお父さんはその誠実な人柄で、人々からの信望を集めていたようです。

家としては跡取り息子であるスピノザに商売人として育ってほしかったのでしょうが、スピノザは信仰心が高じて、ユダヤ教の「神」について学びたいと、思春期ごろからラビ(※)たちに手ほどきを受けるようになります。

(※)ユダヤ教の宗教指導者

なにせ、この時のスピノザの評判は抜群でした。

とにかく頭が良い

だけではありません。

自分の感情をコントロールするのがやたらうまいのですね。

いつどんなことがあってもにこやかで人当たりが良い。

この辺りは血であり、家柄でしょう。

そんな大人顔負けの練れた人がらにラビたちも

「こりゃ、とんでもない大器になるぞ」

とうわさでもちきりです。

が……

破門

思春期に差し掛かり始めたスピノザはそれでは満足できなくなってまいります。

ひそかに哲学に触れるようになったり。

またある時は、自分より年増の青年らにこんな風に声をかけられました。

「お、お前がバールーフ少年だな。うわさはかねがね聞いているぞ」

「買いかぶりすぎだよ」

スピノザはいつも通り柔和な笑みです。

「いいや、そんなことはない」

青年らはスピノザに神についていろいろと問いかけ、なかなか放してくれません。

以後、スピノザは彼らとは会わないよう気を使い、会っても見ないふりをしてそのまま通り過ぎるようになりました。

が。

青年らは収まりがつきません。

そして、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)に訴え出ます。

一方、スピノザはいつものようにシナゴーグへ。

しかし、様子がいつもとはちがいます。

スピノザは裁判席に被告人として立たされると、こう問われます。

「バールーフ、君が『プロテスタント』の教会にひそかに出入りしているのは本当か」

すると、スピノザは意外にもケロリとした様子でこう答えます。

「ええ、まぎれもない本当ですよ」

証人台にはあの青年らがおります。

そして、彼らはその証拠なるものを次から次へとたたきつけます。

ラビらは信じがたい思いです。

が、スピノザはあくまでケロリとした様子で被告人席からこう宣言します。

「あなた方を見ていると何やら気の毒をもよおします。これ以上の証拠はほかにいりますか。なんなら、先生、あなた様にユダヤ教徒(である私)の破門の方法を今ここで先生にご教示させていただいてもよろしゅうございます」

これには、さしもの恩師も怒り心頭に発しました。

「ああわかった。バールーフよ。絶対に後悔するな。わたしは破門状を携えなければここに帰ってくることはないであろう」

ラビは、スピノザ少年が改心すると、心のどこかでたかをくくっていたのでしょう。

しかし、スピノザは最後の最後まで平然とそれを貫き、とうとうユダヤ教を破門になるのです。

勘当

わりと多神教的な環境にいる私たち現代日本人にはピンときづらいものがありますが、こういった中世における一神教社会における“破門”というのはかなり大変なことだったようです。

ユダヤ教社会全体から「呪われた存在」として徹底的に村八分に。

衝撃の隠しきれないお父さんはスピノザ少年をなんとか説得しようとします。

が、おかしなものです。

あの“とてもものわかりのいい”少年は一向に頑と受け入れようとしないのです。

「あくまで私(バールーフ・デ・スピノザ)は自分の信ずる道を行く」

お父さんはスピノザがまだ幼いころからこう口を酸っぱくして言い聞かせてきたはずだったのですが。

「神様はどこでもお見通し」

これはスピノザ少年にはこのように映っていくようになっていたようです。

「“本当の神のあり方”を知らなければならない。それを放擲して目前の迷信めいた日常にただただ埋没すること。神はその怠惰と過ちをも見通してらっしゃるはずだ」

こういった思考は古今を問わず、優れたフロンティアにはつきものです。

ちなみに、スピノザが後に残した言葉がこちら。

「人々は真理を知らない。その上、正典を盲目的に伝ずる。つまり昔からの誤謬(ごびゅう)を愛しすぎる」

こうして、スピノザは実家とも絶縁となり、街を一人出てゆくこととなります。

苦境にあっても世渡り上手

スピノザはここからがすごいのです。

革新者というと大方世渡りが苦手なところがあり、そのまま社会から“孤立”し、痛ましいまでにフルボッコにされたり、クタクタに疲弊しきったり……(※)

(※)破門されてまだしばらくのころ、スピノザはナイフを持った“その手の人”に路地裏で狙われたことはありました。幸い無事で済み、直後にはその話を聞いた知人に心配されましたが、本人はいつも通り、至ってケロッとしていたようです。

でも、スピノザなら、ご大尽と仲良くなり、そこの子供たちにいろんな外国語を教えるなどして生計の算段をつけ、なんだか“うまくやる”のですね。

今の時代もそうですが、こういうタイプの人はとことんうらやましいです。

インテリジェンスで革新的、なだけでなく、とてもウィットがあり、いつも上手に自分をコントロールし、普段は温順で、だれとでもうまくやっていける。

こういったわけでいつどこからとなく篤志家が必ず現れ、スピノザの生活を何から何まで面倒をみてくれるようになります。

ただ、スピノザの欲するのはあくまで学究のみ。

「神」のある姿についてただつきつめてゆくのです。

スピノザの暮らし

スピノザは結婚をしません。

生計にかかわる仕事もしません。

大事なのは「自分が一番大事だと思う学究にただただひたすらに没頭すること」。

知人・友人との付き合いも、それが遮られない範囲で自由に。

無論、物質的贅沢や俗世間的権威・権力なんてどうでもよいことです。

スピノザのある日の食事。

ビールとバタースープだけ。

ある日の食事。

バターと干しブドウの入ったオートミールだけ。

「ちょっとやりすぎでは……?」

というぐらい小食で質素です。

スピノザの身なり。

とてもシンプル。

スピノザはこんな暮らしでも全然不平がありません。

むしろ満足です。

で、パトロンからの出資はあくまでこのバイタルラインまで。

スピノザはそれ以上を頑として断ります。

しかも、スピノザは三カ月ごとにきちっと収支をつけ、こんなカッツカツの暮らしの中から少しずつ貯蓄をし、自分の葬式のために備えます(さすがユダヤの優秀な商家の出です)。

普段は下宿の自室(庶民の家の二階など)にこもりっきりで、学究と著作に明け暮れるばかり。

もちろん、変に知れ渡っていろんな人たちが訪ねてこないよう、場所はあくまで秘密に(※)

(※)スピノザは知る人ぞ知る人気者ですから、「会いたい」という人がヨーロッパ中にいっぱいおります。

万一、知れ渡ってくるならば、速攻でそこをおさらばします。

それでいて、下宿先の人たちとはいつだれとどこでも如才なく。

他愛ない世間話に花を咲かせたり。

スピノザ、お父さんの遺産相続にがっつく?

ところが、こんなスピノザのもとにある重大な知らせがもたらされます。

お父さんが亡くなってしまったのです。

さすがにいてもたってもいれなくなったのか、早速スピノザはこの絶縁の実家の扉をたたくことにします。

だけではありません。

スピノザは何を思ってか、お姉さん方にこんな宣告を。

「お父さんの遺産を正当分こっちに分けてもらうよ」

なんだい、結局欲ぼけかい!ていうか自分が家族の絆を一方的にぶち壊して出ていったのに、今さら何を言ってるんだ?

と、お姉さん方も思ったでしょう。

猛前と抗議します。

が……

なんとスピノザは裁判までほのめかします。

お姉さん方は「もはや太刀打ち不能」つまり、「道理の上ではあちらが勝ち」と踏むしかなかったのでしょう。

しぶしぶこれを受け入れます。

ところが、ここがスピノザ。

これだけ聞き届けると、たちまちこの遺産相続放棄を表明してしまいます。

学会から異端扱いされても問題にあらず

スピノザの学説は当時としてはかなり大胆でした。

学会などから異端扱いされ、誹謗中傷されるというようなことはザラだったようです。

が、例のごとくスピノザがこの程度でへこたれるわけがございません。

スピノザいわく、

「真理が高価であるのは今日に始まったものではない。誹謗などによって私はこれを見捨てはしない」

神即自然

スピノザの学究のいきついた大きな真理とは「神即自然」です。

“神”を“絶対なるもの”、“自然”をさらに広く“宇宙(森羅万象)”と言い換えれば、しっくりときませんか。

どこまでも奇跡的で合理的で絶対的ですから。

実際、彼のこうした「神観」「宇宙観」を支持する人は現代の世界の知識人にも多いようです。

オランダ侵略戦争にあたって

市民の暴発に激高

かように、いつどこまでもマイペース(神ペース?)で、賢く、人にも愛され、絶対に取り乱すことのないある意味無敵キャラのスピノザ。

ですが、一度だけ取り乱してしまったのを私は知っております。

まず思い出してください。

スピノザは例のごとく顔が超広いです。

当然、有名人の知り合いもたくさんおります。

その中に、当時の共和制オランダの指導者であるウィッテ兄弟がおりました。

引用wikipedia
ウィッテ兄弟

ところが、このウィッテ兄弟のやった外交政策が裏目に出てしまいます。

たちまちオランダはヨーロッパ世界から孤立した上、「好機到来!」とばかりの列強連合に攻め込まれ、大ピンチに。

すると、ぶちぎれたのはオランダ国民。

彼らはたちまち暴動を起こし、ウィッテ兄弟を広場にさらしものにしたあげく、処刑してしまうのです。

そのうわさを下宿で聞きつけたスピノザは

「多勢を成して悪事を共にすればいささかかでも気休めになるなどとはただの無知の大いなるしるしではないか。また共有する苦痛を暴発的自慰行為に捌け口を求めるなど全くの理性の欠如以外のなんだ」

といつになく激高。

そして、みんなが止めるのをふりきって、一人で外に出てゆこうとします。

それだけではありません。

その手には紙片がにぎられ、

「最たる野蛮の中の野蛮」

と書かれてあります。

スピノザいわく

「これを広場に貼ってくるのだ」

結局はみんなでとりおさえ、なんとかことなきをえました。

暴徒に下宿を取り巻かれても悠然と

引用wikipedia
ルイ2世(コンデ公)

さて、フットワークが軽くて、世界のでかいスピノザの動きはこんなことでは止まりません。

今度は、敵陣営となってオランダに攻め込む様子を見せるフランスの司令官コンデ公に「話をつける」として一人ヒョロッと出て行ってしまいます。

もちろん、コンデ公もスピノザの広すぎる人脈の一人にすぎません。

ところがスピノザはこの時運悪く、コンデ公とうまく行き当たることができませんでした。

仕方ありません。

スピノザは結局無為に祖国へと引き上げるしかなくなります。

が、オランダの下宿に帰ってからが大変。

地元市民らはスピノザの動向を聞いて、

「もしや敵国に裏切りを画策しているのでは」

と疑い、物騒にも下宿の周りを鼻息荒く取り巻いてしまいます。

当然、スピノザの周囲の人たちは「スピノザさん、だいじょうぶかな?」と、とても心配。

ですが、当人はいつものようにまったくけろりとして、

「この国の最高権力者たちはちゃんと事情を飲み込んでいるから心配はいりません。なんなら少しでも戸口に物騒な物音でもたったら私自らが表に出ていきましょう。私は心からの共和主義者、国家の至善こそ我が目標です」

と言ってのけました。

その後、オラニエ公ウィレム(※)指導による国民の奮闘によりオランダ祖国はなんとか危機を脱出。

(※)オレンジ公ウィリアム

一方、スピノザは以後ますます学究にのみ引きこもってゆくように。

さすがに、これら一連の体験が応えたのかも、と言われております。

ここに、スピノザの名言をまた一つ。

「民衆の激情の中に倒れた時、我々が自分で立ち上がる力を持たないとすれば、知恵は我々にとって何の役に立つだろうか」

そして、スピノザ40才過ぎ、10年以上をかけた生涯の大著が完成します。

代表作『エチカ』完成

『エチカ

スピノザの言う神、すなわち宇宙の存在をいろんな事象から数学の証明のようにあくまで丁寧・合理的に検証しております。

が、内容が当時としてはあまりにセンセーショナルすぎて即発禁に。

ただ、スピノザ自身大著の完成を見届けるように亡くなってから解かれ、やがて“知の指針”として世界中に読み継がれるようになります。

(↓上下巻あるのでご注意ください)



(↓そういえば、「100分de名著」にも特集されておりました。私は残念ながら見逃してしまいましたが)


まとめ

スピノザは少年時代からとんでもなく学業優秀、かつ、人付き合いに如才なかった。

でも、スピノザは自分の信じる合理性にはとことん一途で、それに反するなら、自分の生い育ったユダヤ教社会にも実家にも学会権威にも暴徒化した市民にも敢然と「NO」を突き付けた。

スピノザはあくまで神(真理)のための学究に明け暮れるために人生のすべてを構築しようとした

スピノザの思想の要点は「神即自然」

スピノザの代表作は『エチカ』

最後に、スピノザの人柄を知るユニークなエピソードをもう一つ。

スピノザは下宿部屋にいたハエを捕まえ、クモの巣に放って、あるいは、クモどうしで戦わせ、「どっちが勝つか」に喜々として熱を上げたことがありました。

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