ニーチェ『ツァラトゥストラ』は面白いよ(1)

思想・処世術
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どうも~。フリードリヒ・ニーチェです。

(1)と書いている、ということはこのシリーズを2も3も気が向くままに延々続けていく所存です。

そも『ツァラトゥストラ』(著・ニーチェ/訳・丘沢静也/光文社)は私の最大の座右の書、というより、聖典といった方がなじみがよさそうです。

そんな『ツァラトゥストラ』にふと目をやると、大概いつもどこかに「!」となるところがあります。

そんな「!」を今日も徒然なるままに書き連ねてしまおう、というあまりにぞんざいすぎる企画です。

「人生は正攻法ばかりではどうにもならんな。つくづく疲れた。何か気晴らしになるのはないか」

という人にどうぞ。

(フリードリヒ・ニーチェ。1844~1900。ドイツの実存主義哲学者)

 

 

最善になる最短は最悪になることである

ニーチェ語録①

「最善になる最短は最悪になることである」

 

 

とりあえず教条的に、

「ああしなければなりません」

「こうしなさい」

と、言われても、どうも納得しづらい時があります。

「あちらの身に立って」

と言われても

「だれもこっちのことをちっともわかる気配はないですが……」

とか、

「世のため人のため」

と言われても

「世ってどういうくくり?で、うちはあくまでそこに入らんのね。別に入らんで済みたいけど。ていうか、なぜ人にばかり固執すんの?こんな不完全で凶悪で自分勝手な生きもんやのに。だから世の中こんな風になるんやろね」

など、心の中で屁理屈をこねるときりがない私はかなりいい年したおっさんです。

 

ともかく、「落ちないとわかってこないもの」は厳然とあるように思えますし、特に私のように出来のよろしくないものはもっともっととことんまで落ちた方がいいのかもしれません。

太宰治万歳です。

このニーチェおっさんはこうも言っております。

自分の敵を選べ

ニーチェ語録②

『自分の敵を選べ』

「ちんけな敵を選ぶな」

という意味です。

「そのまま鏡のように自分の価値になっちゃうぞ」

ということです。

私などはついつまらないことにカリカリしがち。

特にここ1、2年は大殺界で大厄だからか、いろいろとしんどいです。

我ながらいよいよ自分の卑小さを思い知り、いよいよと縮こまり、いよいよとうらぶれた感じでどうしようもありません。

が、こうやって縮こまってばかりいると、敵にするものまでドンドンちんけになってきます。

これに比べて、フリードリヒ・ニーチェの偉大さ。

ニーチェの敵は大きい①神(まだ19世紀です)

たとえば、まだ教会の地力が今よりずっと残っていた19世紀に、伝統的なキリスト教の在り方を真っ向否定。

「神は死んだ」

などとのたまわり、この文句は彼の代名詞として延々後代まで語り継がれる始末です。

そも、このニーチェおっさん、牧師の家柄で、本人も思春期の頃までは、例のどこまでもかたくなな鋼鉄の意思と電車道の邁進力で、人並外れてコアな神学生でありました。

が、一度「?」となってもやっぱり鋼鉄の意志であり、電車道なのですね。

一気に神は死んでしまうようです。

ニーチェの敵は大きい②実家(痴話やお金などで敵対しているのではありません)

敬虔な実家は大絶望。

お母さんとは絶縁状態に(お父さんは夭折なさっております)。

で、哲学の方に向かうのですが。

そこでも、例の鋼鉄の意志と電車道の邁進力で圧倒的な優秀さで学問を習得。

24歳にして早くも名門バーゼル大学で教鞭を執るほどに。

ニーチェの敵は大きい③学会(ニーチェ自身が属しています)

でも、やっぱり、自分の思うように暴走して(きっちりした学術的裏付けをごっそりすっ飛ばした散文のような論文を提出しました。“鳴り物入り”の青二才が哲学界に初手から「これ、俺流」とケンカ売っているようなものです)、きっちり学会からハブられます。

こうしてニーチェは孤高のフロンティア哲学者として「人しれず」ひっそり邁進してゆくしかなくなります・・

 

ニーチェの敵は大きい④あこがれの大天才

吾輩はリヒャルト・ワーグナーである。ニーチェ君、ごめんだけど君にはついていけないかも……

そういえば、ニーチェおっさん。

この人も敵に回してましたね。

元々非常に心酔し、懇意にもなっていた偉大な音楽家ワーグナーとも「(ワーグナーに)失望した」とばかりに絶縁状態に至っております。

“純粋無垢”こそがニーチェの強み

どうでしょう。

このように我らがニーチェおっさんはどこまでも強力であったり、あるいは、何よりの味方のはずだった者に、平気で唾を吐き、泥を塗り、大ゲンカをやり、あげく現実的にはどこまでも惨敗に惨敗を重ね、なおも気炎を吐き続けております。

かのおっさんはまさにソクラテスのように、どこまでも追いかけるのは“真実”。

こういう、とことん浮世離れした奇特キャラですが、「だからこそ」のものすごい文学を紡ぎあげてしまうのです。

そう。

彼の哲学は哲学というより、文学的要素が非常に強いと思います。

これはキエルケゴールも同じです。

私はそういう彼らが大好きなのですが。

純粋無垢を貫き通したからの強みにはやはりしみじみと戦慄を禁じえません。

復習「自分の敵を選べ」

そして、私らは日常生活の中からつい些細なことで

「ああ、あいつ許せん」

「こういう仕返しをしてやる」

などと現実利害すら度外視して思ってしまいます。

でも、そんな時にニーチェおっさんの「ニーチェ語録②」を思い起こすと、ちょっと違うかもしれません。

何のために怒っているのか。

怒る価値はどの程度なのか。

人の命が1つしかないのは事実です。

「やっぱりとことん大きく利用したいな」

とは、いと小さな器の当該人である私ですら思いますよ。

思いませんか。

もう一度記します。

『自分の敵を選べ』

こういうタイプはその道を突き進むんだ方がいいかも。昨晩の○ロフェッショナルでもそう言ってたし。

「いい年したおっさんがそんな厨二みたいに何でも噛みついてどうすんの?」

と思うかもしれません。

でも、こういう生き方しかできない人間というのはいるもんで、どうせならその道をとことん極めた方がいいのかもしれません。

周りとチューンを合わせるのもありだし、常道だけど、それが尋常でなく厳しく、ただ自分を殺すばかりなら、自分のチューンをとことん磨きぬくのです。

ニーチェおっさんは完全にこれで成功しました(現実では死ぬまでボロカスでしたが)。

ニーチェ「その本性を愛せよ。私のいとちんけでありふれた日常人間ぶり」

ただ、安心してください。

このニーチェおっさん、哲学書ではえっらそうなことばっかりほざいておりますが、日常はものすんげー平凡でどこまでもちんけなところがありましたから。

こやつ、30代半ばくらいのころ、自分より17も年下の女性ルー・ザロメにぞっこんになったなかなかのロリコン野郎でして、実に女々しいちまちまとした恋文を延々と送り付け、彼女のほんのちょっとした挙措にいちいち有頂天になり、あるいは、打ちひしがれ、もがき、とうとう振られて、自殺までしようとします。

(ルー・ザロメについてはこちらの参考記事

ちなみにこの時すでに、おっさんは40近くです。

まあ、おっさんはこのドツボをバネにして代表大作『ツァラトゥストラ』を書き始め、ついにものしてしまうのですが。

結局私ら人間というのは良かれ悪しかれその人間らしさから動き出すのですね。

ニーチェ語録③

「汝の体を愛せよ(人間らしさを大事にしろ)」

 

 

↓「ニーチェツァラトゥストラはおもしろいよ」シリーズ

2はこちら

 

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↑↓私はこのツァラトゥストラが特にお気に入りです。余計な飾りっ気がなくて読みやすい(一応哲学書なので人によっては十分読みにくいと思うかもしれません。私も始めそうでした)。上下2巻あるので注意してください。

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