
宮崎駿監督の代表作「千と千尋の神隠し」について内省的考察を深めていきたいと思います。
そもそも「油屋」とは?

まず「油屋」とはまさに「現実の文明社会そのもの」と言い表して差し支えないでしょう。
みんな何かによって脇目もふらず働かされています。
大勢の人間や物の怪たちが得体のしれない来客たちをもてなし、押し合いへし合いしながらただその日その時を延々と生き続けています。
そこでキーになってくるキャラがこれです。
カオナシとはいったい何?

カオナシ。
あの影のようにのっぺりとした巨体で何を考えているのかわからない不可解なキャラです。
モチーフは漠然と「若者」、広義には迷える「精神未熟者」でありましょう。
登場当初は「あ」というような声しか発さない素朴なキャラ、元々生まれいだしたばかりの人間というものは自然そのままのうぶな状態なのです。
が、次第にどうやったら俗世間に認められるかを安直に覚えてしまい、まさに見せつけるように黄金の粒を「油屋」中にばらまき、その従業員たちはもう恥も外聞もなく仕事すらそっちのけでそいつめがけて奪い取りあいます。
が、ひそかに心を寄せていた千に拒絶され、またあれだけばらまいていた黄金が偽物とばれて途端にブチギレ、大化け物となって暴れ回り、挙句に皆から寄ってたかって大パニックになってお払い者にされます。
あの頃はちょうど「キレる若者」が話題になっておりまして、まさにキレる側とキレられる側双方にかなり手厳しい隠喩が込められています。
そして「片道電車」へ

いつも些細なことから世界ごと揺れて回っての大騒ぎを繰り返している「油屋」を後にして、千は「契約の鍵」を銭婆に返しに「片道の不思議な電車」に乗ります。
あれはもう死後の世界と考えてよいでしょう。
あれだけ大暴れしていたカオナシもほかの皆もただ行儀よく静かな影となっています。
そして、六つ目の駅で降りて愈々銭婆に会いに行きます。
銭婆には生と死を超越した覚者の影を見ます。
ハクとその後

ハクとは本来の「自然」そのもの。「神」です。
しかし、その「神」ですら今は「油屋」の一部として牛耳られているという悲しさ。
ハクは最後に自分の「名前」を思い出しますね。
「名前」とはその「存在の本分」です。
ハクは「八つ裂きにされても人間の千に役目を果たさせよう」と湯婆婆に誓いました。
そして、成就されると彼は元の「神」に戻りました。
その後ハクがどうなったのかについては方々でその意見が取りざたされていますが、実は「彼がどうなった」ではなく「彼をどうするか」は、千と同じく、本来「神」と共にある我々の「名前」との向かいあい方次第ということではないか、と私は考えます。