前漢バブルの“スーパー・プロデューサー”伝説【武帝】

歴史
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世の中には、ダイヤの原石をものの見事に探り当て、上手に育成して大スターにしてしまうとんでもないプロデューサーがいらっしゃいます。

で、ふと思ったんですが、この方すごくないですか。

前漢武帝(前156~前87)です。

高校で世界史を取ってない人にはなじみが薄い人なので、まずぜひ説明させていただきます。

このおっさん、もとい皇帝陛下は本当に世に埋もれているパンピーかそれ以下のあんちゃんたちをどっからともなく引っ張ってきて、いったいどういう英才教育を施しているのか知りませんが、とんでもない大スターさんに次々に仕立て上げてしまうんです。

ちょっとおもろいおっさんなんで、ぜひチョロッと見てやってください。

後、彼の育て上げた個性的なスターさんや、時代の成り行きについても。

前漢の武帝時代ってどんなの?

一言で片づけるなら「バブル」です。

そもそも、前漢の高祖である劉邦が統一するまで、中国大陸では600年近く、そこかしこで延々と戦争に明け暮れておりました。

ところが、劉邦が統一すると、平穏な時代が訪れます。

次第に国力は回復。

日本でいえば戦後復興期から高度経済成長期と考えてください。

ほとんど一緒ですんで(暴論?)。

で、武帝が前漢7代目皇帝として即位したのは16才です。

若いころは名君の誉れ高い父・真宗の後を受け継いで、わりとバランス型の政治を進めておりました。

ところが、だんだん自信を付けてきたのか、“積極政治”にシフトしてゆきます。

そこで、武帝陛下が当然のように目をとめたのが北方の強大な騎馬遊牧民族国家匈奴です。

前漢が興った劉邦の時、劉邦は匈奴と大決戦をおこないますが、かなり手痛く敗北した経験があります(紀元前200年白登山の戦い)。

以後、前漢は匈奴に公女を嫁がせたり、貢ぎ物をするなど、あの手この手でなんとか取り繕い続けております。

戦争はできるだけ避けます。

しかし、武帝陛下は

「Goddamn(ガッデム)!もうYouらに好き勝手はさせん!」

なにせ、国はもうだいぶ豊かになっております。

「今ならWe can do it(やれる)!」

そんな時、武帝陛下は匈奴の捕虜からの話を人づてに聞きます。

ゴッドプロデューサーのサクセスストーリーはこの一介の売れない兄ちゃんから始まった

なんでも、

「西方にいた民族“月氏”は匈奴に攻め込まれ、王様は殺され、人々は領地も追われてしまったようだよ(※)。月氏はこの恨みのあまり“絶対復讐したい!”と仲間を探しているらしいよ」

(※)逃れた月氏は大月氏と小月氏に分かれました。

とのこと。

武帝陛下はこの話を聞き、むくむくやる気が起きてきました。

「Yeah!月氏と同盟を結ぼう。それで匈奴を挟み撃ちだ!」

思うと、実行に移さずにいられない武帝陛下は月氏のいるところまで探検してくれそうな手ごろな人間を探します。

そこに現れたのが張騫という男。

武帝会員ナンバー1番とでも付けておきましょう。

張騫君はまだそこそこの役人の出身です。

ちょっとだけ芸歴のある人と言った感じ。

が、我らがゴッド・プロデューサー武帝陛下はもう目がランランです。

こうして、武帝はまだあまり実績らしい実績のない張騫に100人ものお供をつけて、中華からはるかに離れた砂漠の向こうにいるという月氏に向けて送り出すことにしました。

張騫①「このプロジェクト、マジぱねえ!」

張騫は「やらせでなく」行きでも帰りでも匈奴に捕まります

匈奴と言う芸能事務所、もとい国家は、暴れ出すとシャレにならんぐらい怖いのですが、意外にも外国人には懐がめちゃ広です。

ここは「こいつ使える」と思えば、ライバル事務所、もとい敵国人であろうが関係なくスカウトし、自分の陣営に引き入れてしまいます。

で、張騫は現地に匈奴人の奥さんをもうけ、まあ、違う事務所のタレントさんと結婚した感じです。

で、彼女との間に子供までもうけました。

が、この張騫、さすがに我らがゴッドプロデューサー武帝陛下にあそこまで啖呵を切っただけあって並々ならぬ芸能人根性(?)です。

なんと、匈奴の監視の緩んだすきを狙って脱走!(撮れ高最高!)

で、帰り際にまた捕まって、また脱走、と言うTVマン大喜びの展開です。

こんな感じで長安の都に帰りついたころには出発して10年以上が経っておりました。

張騫①「すっかり“あの人は今?”状態だが、転んでもただでは起きん!」

そして、張騫は武帝陛下に報告をします。

武「で、You!月氏の方はどうなったの?」

張「申し訳ありません。もうあちらには匈奴とやりあおうという気はさらさらありません」

武「ダメ?……」

張「ダメです」

武「絶対?」

……

ただ、張騫はさすがなものです。

旅先での情報は前漢では貴重そのもの。

なにせ、しらないことばかりのAlice in ワンダーランド。

しかも、われらの武帝陛下が本場(?)の土産話を聞いて夢中にならないわけがないじゃないですか。

中でも、

大宛という国があってそこの馬はとにかくすごいんです。血の汗をかきましてね。汗血馬と言います」

そんなにすごいなら「匈奴の騎馬軍団に勝てるかも(紅白であそこの事務所をぶちのめせるかも)」と武帝は見込みました。

そう思うと、「すぐ実行に移したい!」とうずうずするのがわれらが武帝陛下です。

「じゃ、大宛への選抜隊(少年隊ではありません)を送ろう。総大将は李広利ね」

出てきましたね。

この人は会員ナンバー4番です。

衛青②「僕のことを前漢の『おしん』って言う人がおります。」

さて、時代はもうすでにだいぶバブってきています。

会員ナンバー2番衛青はもともと匈奴との国境地域で奴隷同然の暮らしをしておりました。

ところが、武帝は衛青の姉を側室として寵愛します。

だから、衛青は容姿も結構いけてた、と思います。

で、衛青は陛下に見初められるのですね。

すると、陛下は早いです。

匈奴討伐でいきなり車騎将軍に抜擢!

なんと前漢軍部におけるナンバー3のポストです。

衛青はおさないうちから匈奴に近いところで育ったせいか、わりとその役職になじみがよかったのでしょうね。

意外に戦功を重ね、さらに大出世を遂げてゆきます。

衛青②「僕、世間からちょっと干されたことがあるんです」

が、時代が時代です。

すぐにあきられます。

衛青の甥っ子に霍去病(かくきょへい)くんという、まだ幼くして「はんぱない」のがおります。

そんなものあのゴッド・プロデューサーが見逃すはずがありません。

ソッコーでスカウトして、会員ナンバー3番。

で、匈奴征伐へと向かわせます。

で、彼、めちゃめちゃ“持ってる”んですね。

たちどころに大活躍して驃騎将軍(前漢軍部におけるナンバー2のポスト)に。

すると、もう世間はこぞって「霍くんフィーバー♡」です。

ファンは一気怒涛にこちらに押し寄せ、気付いてみると。

衛青「僕のライブにはだれも寄り付かない閑古鳥だね」

・・

霍去病はまだ20才前後の若さ。

しかも、戦が超強い。

そのカリスマ性たるや……。

でも、この人、出征先で部下たちには飢えさせても、自分たちだけは酒宴を開く、ほどのなかなかなわがまま性格。

なにせ、若いうちから一発当ててしまいましたから。

それに対して衛青は、売れるまでの下積み時代がめちゃめちゃ過酷でしたので。

売れなくったって周りへの気配りは全然忘れません。

地方のドサ周り(匈奴遠征のこと?)でも、文句ひとつ言わず(?)コツコツコツコツとスマイルを絶やさず、スタッフのみなさんへも丁寧・優しい。

当時ネットがあったら「実はめちゃいい人だった芸能人」なんて特集を組まれてそうです。

そんな時、全中国に衝撃ニュースが!

伝説のスーパーアイドル(?)霍去病③逝く

なんとあの霍くん♡、もとい霍去病将軍がたった24才で病没してしまったのです。

でも多分、彼は長生きしていたら何か起こしていたように思います。

彼はこうして後世にレジェンドとしての名を残す果報にあずかることとなりました。

で、そんなアイドル界(対匈奴将軍界)の大きな空白を埋めるように現れたのがあの人です。

李広利④「勢いでアイドル事務所に入った(対匈奴将軍になった)けど・・えらいことになっちゃった・・」

会員ナンバー4番、李広利です。

なんせ、李広利はもともとがリアルな芸人一座の一員です。

日々、音楽や踊りなどで生計を立てておりました。

ところが李広利の妹が武帝陛下の側室になり、とても気に入られるようになりました。

となると、武帝陛下が見逃すはずないじゃないですか。

武帝「You!Youいけてるね。よかったらうちの事務所来ない?」

この通り、武帝事務所のトップ・アイドルたちはリアルにイケメンであろう人が多いです。

ただ、武帝陛下、今回ばかりはちょっと無理がありました。

というのも、李広利は軍事の“ぐ”の字もありません(※)。

(※)まだ、衛青や霍去病は騎射が上手だったりしてそれなりに心得がありました。張騫ですら「匈奴に精通している」と言う特技があります。

アイドルでいえば、致命的音痴で、ダンスは盆踊り、演技もウルトラ大根、というパターンです。

が、武帝陛下(※)は李広利のデビューに全然やる気満々です。

(※)武帝陛下が世のリアルな敏腕芸能事務所社長、プロデューサーなどとちがうのは、メチャメチャ感情的で、時に「まともな計画があるのか?」というものすごいどんぶり勘定でごり押ししてしまいます。

しっかも強烈なのは、一番に寵愛していたあの姫様、つまり、李広利の妹が早くに病気で亡くなってしまったので、武帝陛下はここに一世一代の大プロジェクトを決行することにします。

なんと、李広利を総大将にしてものすごい規模の大軍団を率いてあの大宛まで遠征させ、「汗血馬を取ってこい」と言うのです。

つまり、こういうことです。

「自分の一番の愛人が早くに亡くなってしまったので、その弟を何が何でも今世紀最大のアイドルにまで仕立て上げ、彼女への餞(はなむけ)とする」

ぶっちゃけ今回は鼻息が荒すぎる陛下は李広利に弐師将軍なるとっても仰々しい“芸名?”ではなく、官職を新設して与えました。

で、これは当時の“遠征軍あるある”なのですが、兵隊(後ろで踊るジュニアみたいなもの?)として連れてゆくほとんどが全国に若くあぶれていた罪人、不良、博徒、といった人々。

まともなプロの兵隊(ちゃんとしこまれたダンサー?)ですらありません。

李広利④「故郷(くに)に帰りたい・・」

当たり前といえば当たり前でしょう。

この武帝陛下の肝が入りまくったウルトラ・ビッグ・プロジェクトは空前の大失敗に終わります。

なんと弐師将軍李広利、大宛にたどり着くことすらできません。

補給路、援軍として頼みにしていた行く先々の国々のほとんどは

「はあ?なんだ?見ず知らずで大したことなさげなお前らなんかにコンサート入場料なんか払えるか!」

とばかりに城門を閉めっぱなしです。

が、李広利はもともと将軍職に縁もゆかりもありませんからなすすべもありません。

仕方ないから「じゃ、次行こっか・・」

で、次も、その次もダメなのですから、みんな疲れるし、飲食がだんだん心もとなくなってきますし、

「こんなんで本当に大宛に勝てるのか?」

と、もともと士気激低の前漢軍兵士たちはすきを見て“逃げてゆきます”。

で、はじめのうちはポツポツといなくなる、ぐらいたったのが、だんだん「あれ?」「あれれ?」とごっそりいなくなるようになります。

すると、もう戦どころではありません。

兵たちが反乱を起こすかもしれず、仕方なく、李広利は漢の西の国境“玉門関”まで引き返します。

が、この報を聞いてリアル大激怒したのが武帝陛下です。

「玉門関より内側にやつらを一歩も入れるな!」

の大無茶振りです。

李広利は一年間玉門関の“外”でずっと連れ立っていた兵員たちとともに待ち続け、やっと武帝からお許しをもらうと、今度はプロ兵団をいっぱいつけられ、食料も豊富に、前とは全然違う充実の布陣で一躍もう一度大宛へ!

李広利はようやく大宛を討ち、念願の汗血馬をゆすり取って、前漢の都長安にまで凱旋することができました。

司馬遷の災難

もう十分狂乱していると思うかもしれませんが、ここからさらに踏み込んでゆきます。

武帝陛下の匈奴への武力介入はついにこれまでの西から北に方向転換。

総大将は今やすっかりウルトラアイドルの李広利です。

そして、武帝にその援護を申し出た一人の将軍がおります。

李陵です。

李陵は代々将軍の家柄(いわゆる『キングダム』の主役李信の子孫です)。

まあ、2世タレント、3世タレントといったところ。

事務所内(?)では武帝陛下の覚えはいまいちですが、当然幼いころから“英才教育”を受けている若手のプロフェッショナルではあります。

で、李陵は李広利の本軍を助けようと、わずか兵5000で匈奴のテリトリー深くまで潜行。

ところが、敵に察知され、大軍でもって囲い包まれ、李陵は勇戦むなしく投降してしまいました。

この報告を長安の武帝陛下が聞いてまた大激怒します。

「あの裏切り者!」

武帝陛下の周りには武帝陛下のイエスマンしかおりません。

なので、「あいつはとんでもないやつです」「こんな面汚しには厳刑しかありません」などと武帝陛下の気に入りそうな献策しか出てきません。

ところが、そこに父親の代から歴史書『史記』を編纂している司馬遷が一人。

芸能事務所でいえば、裏方の経理なんかをコツコツと積み上げているようなキャラが、

「いや、李陵はちっとも悪くありません」

とけなげにも弁護をします。

いわば、「社長の命令だってダメなものはダメですよ、経理不正なんてできません」ってところです。

たちまち、激情家の武帝陛下の怒りは司馬遷に転嫁されます。

そして、司馬遷は宮刑(男性の局部を切り落とす)という死より惨めな刑罰を与えられ、その後司馬遷はこの屈辱にもめげず大著『史記』をまとめ上げ、その偉業を後世に残し続けます。

なにせ、『史記』は、それまでのあやふやな部分をなくすために父子二代で何十年もかけていろんな文献を読み漁り、中国中へと現地取材にもおとずれております。

彼らによる厳選した真実だけを記し、余計な主観を省いているため、今でも中国の古代を知る貴重な資料として参考にされ続けております。

巫蠱の禍

武帝には江充というお気に入りの家来がおりました。

この江充はいわゆるものすごく厳しい人事部長みたいな人。

ある時、次期事務所社長候補、もとい、皇太子の劉拠が法律を犯してしまったことを厳しくとがめ、罰します。

しかし、江充にしてみれば、気がかりは武帝陛下です。

今でこそ、武帝陛下に気に入られ、いろんな人たちを厳しく取り締まれますが、陛下に亡くなられると、劉拠をはじめとした多くの人たちに今までの仕返しをされる危険があります。

さすがの“鬼の人事部長”も、自分を取り締まることには及び腰になってしまいました。

江充はもはやただの“悪鬼”になり下がり、気になる人間を手当たり次第に

「“巫蠱(※)”だ。呪い殺そうとしている」

(※)呪いの一種

と罪をかぶせて、摘発してゆきます。

この運動により、あの“事務所のウルトラアイドル”李広利までもが出征中、身内をしょっ引かれて残酷刑で処刑されました。

李広利はこの知らせに絶望し、匈奴に降っております。

そして、あの衛青の子どもたちにいたってはみんな殺されております。

さらに、江充は皇太子劉拠に対してまでこの手練手管で迫ると、劉拠はついにぶちギレ、江充を斬り捨ててしまいます。

しかし、劉拠のクーデターは失敗し、自害。

後になって武帝陛下はようやく事の真相を知り、つくづく後悔しました。

バブル崩壊とその後

武帝時代は積極外征で前漢最大の版図をなしとげました。

しかし、その軍事費負担は膨大です。

また、武帝は不老不死を夢見て、あやしげな神仙思想にもはまり、余計な贅沢に歯止めがかかりませんでした。

こうして、前漢の財政は急激に悪化。

武帝陛下も晩年には「これではまずい」と反省し、財政立て直しに真剣に取り組まざるをえないようになります。

そのやり方が

●塩・鉄などの専売……生活必需品を、政府を通さないと買えないようにする。で、その上前をはねてしまいます。まあ、貧しい人たちにも等しく税金がかけられますので、一種の“消費税”のような感覚です。

●増税

●貨幣改鋳……質の悪いコインをマーケットに流通させます。やっぱりその上前をはねられます。

当たり前ですが、庶民の暮らしに直結します。

こうして治安が悪くなるのに、政府はその根本原因である庶民の暮らしをよくしようとするよりも、厳しく取り締まることばかりに一生懸命。

なので、人々は縮こまってよけいに殺伐としてきます。

それでも、財政健全化策は功を奏しだし、前漢はまた一時勢いを取り戻したかに見えました。

ところが、政府はまた、ムダ遣いをおこなうようになり、外戚(皇帝の奥さんの一族)の専横も目立ちはじめ、ついには紀元8年王莽が帝権を簒奪(さんだつ)。

「新」を興し、前漢は解散、もとい、滅亡します。

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