
幕末維新の英雄といわれる勝海舟(1823~1899)。
旗本という幕府閣僚としてはかなり低い身分から。
しかし、周囲の評価をものともせずに物事の核心をつき、くずれておちてゆく幕府にあってなお太々と屹立する柱として、あるいは次の時代への確かな先導者として、存在感が際立ってまいります。
今回はそんな海舟ならではの達観した名言集です。
勝海舟名言集
道は必ず開ける

「俺など本来、人(生まれ)が悪いから、ちゃんと世間の相場を踏んでいる」
確かに。私もネットビジネスなど失敗しまくってますが、金にならずとも栄養には成ってる、気がします。
「上がった相場はいつか下がるときがあるし、下がった相場もいつか上がるときがあるものさ。その間、十年焦らずじっとかがんでいれば、道は必ず開ける。やるだけのことはやって、後のことは心の中で、そっと心配しておれば良いではないか。」
私は今、大殺界と大厄のど真ん中です。
面白いほど何をやってもうまくいかないし、また周りも騒がしくなります。
でも確かに、最近は「こういう時こそ、焦らない方がいいのかな」という気が今さらながら強くなってきております。
海舟はこうも言っております。
「人の一生には、炎の時と灰の時があり、灰の時は何をやっても上手くいかない。そんなときには何もやらぬのが一番いい。ところが小心者に限って何かをやらかして失敗する。」
図星です。
「急いでも仕方がない。寝ころんで待つのが第一だと思っています。どうせなるようにしかならないよ。」
また、こうも言っております。
「自分の価値は自分で決めることさ」
はい、ものの見事に他人の価値に委ねておりました。
「つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ」
はい、大いに殺してました。
さらにはこう、
「もし成功しなければ、成功するところまで働き続けて、けっして間断があってはいけない。世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、はや根気が尽きて疲れてしまうから大事ができないのだ。」
兄貴、かっこよすぎます。
敵は多ければ多いほど面白い

正しいと思えば、口に出す。
そして、やる。
周りが敵だらけになってもいとわない。
それにしてもこの豪胆さ。
海舟の生き方そのものが現れております。
実際、ワイロを持ち込まれても拒絶。
大坂から逃げ帰ってきた徳川慶喜を痛罵(慶喜には慶喜の思いがあると思いますが)。
安政には井伊直弼のやり方に、明治には日清戦争にも足尾銅山にも公然と異を唱えておりました。
海舟は味方が多いですが、敵も本当に多いです。
福沢諭吉や小栗忠順(※)ですら、彼のことを嫌っておりました。
(※)幕末幕府方における大名臣。文武両面において非常な才覚があり、もし幕府が彼の献策に忠実な抗戦を採っていれば、時代はどうなっていたかわかりません。また、明治に彼が生き残っていればどのような活躍をしていたかわかりません。江戸で幕府を降伏させ、明治になってからも一定の功を成し、歴史的に称揚されることの多い勝海舟とはよく対で語られます。
しかしとどのつまり、何が正しかったのかはその後の歴史が証明しております。
「世に処するには、どんな難事に出逢っても臆病ではいけない。『さあ、なにほどでも来い。 おれの身体がねじれるならばねじってみろ』という料簡で事をさばいてゆくときは、難時が到来すればするほどおもしろ味がついてきて、物事は造作もなく落着してしまうものだ。」
確かに、臆病の虫が破滅への最大の使者かもしれません。
大きな視野を持て

「二・三百年も前に、いま自分が抱いている意見と同じ意見を抱いていた。そやつが後先のことを考えてみているうちに、二・三百年も前に、ちょうど自分の意見と同じ意見を持っていた人を見出すのだ。そこでそやつが驚いて、なるほど偉い人間がいたな。二・三百年も前に、いま自分が抱いている意見と同じ意見を抱いていたな、これは感心な人物だと騒ぎ出すようになって、それで世に知れてくるのだよ。知己を千載の下に待つというのはこのことさ」
「島国の人間は、どこも同じことで、とにかくその日のことよりほかは目につかなくって、五年十年さきはまるで暗やみ同様だ。それもひっきょう、度量が狭くって、思慮に余裕がないからのことだよ」
こんなことも言っております。
「世人は、首を回すことは知っている。回して周囲に何があるか、時勢はどうかを見分けることはできる。だが、もう少し首を上にのばし、前途を見ることを覚えないといけない。」
また、こんなことも。
「世間では(日清戦争を)百戦百勝などと喜んで居れど、支那では何とも感じはしないのだ。そこになると、あの国はなかなかに大きなところがある。支那人は、帝王が代らうが、敵国が来り国を取らうが、殆ど馬耳東風で、はあ帝王が代つたのか、はあ日本が来て、我国を取つたのか、などいつて平気でゐる。風の吹いた程も感ぜぬ。感ぜぬも道理だ。一つの帝室が亡んで、他の帝室が代らうが、誰が来て国を取らうが、一体の社会は、依然として旧態を損して居るのだからノー。国家の一興一亡は、象の身体(からだ)を蚊(か)か虻(あぶ)が刺すくらゐにしか感じないのだ。ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人はとても支那人には及ばないだらうと思ふと、俺は密かに心配するヨ。」
こんなことも。
「日清戦争には、おれは大反対だつたよ。なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないじゃないか。たとえ日本が勝つてもドーなる。支那はやはりスフインクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。ツマリ欧米人が分からないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。一体支那五億の民衆は日本にとつては最大の顧客サ。」
無為自然の強さ

「学者になる学問は容易なるも、無学になる学問は困難なり」
「生業に貴賤はないけど、生き方に貴賤があるねえ。」
「功名をなそうという者には、とても功名はできない。戦いに勝とうという者には、とても勝ち戦はできない。何ごとをするにも、無我の境に入らなければいけないよ。」
こんなことも言っております。
臨機応変
「勝ちを望めば逆上し措置を誤り、進退を失う。防御に尽くせば退縮の気が生じ乗ぜられる。だから俺はいつも、先ず勝敗の念を度外に置き虚心坦懐事変に対応した。」
さすが、“外交の巧み”の秘訣でしょう。
「天下の大勢を達観し、事局の大体を明察して、万事その機先を制するのが政治の本体だ。」
形より実

「藤田東湖(※)は、俺は大嫌いだ。あれは多少学問もあり、議論も強く、また剣術も達者で、ひとかど役に立ちそうな男だったが、本当に国を思うという赤心(嘘偽りのない真心)がない。もしも東湖に赤心があったら、あのころ水戸は天下の御三家だ。直接に幕府へ申しいづればよいはずではないか。それに何ぞや、書生を大勢集めて騒ぎまわるとは実にけしからぬ男だ。俺はあんな流儀は大嫌いだ。」
(※)幕末期、高名な水戸学者として、天下の評を集めておりました
「いまの世の中は、実にこの誠というものが欠けている。政治とか経済と言って騒いでいる連中も、真に国家を憂うるの誠から出たものは少ない。多くは私の利益や、名誉を求めるためだ。世間の者は『勝の老いぼれめが』と言って嘲るかしらないが、実際俺は国家の前途を憂うるよ。」
「時勢の代わりというものは妙なもので、人物の値打ちががらりと違ってくるよ。」
時勢というのは薄情ではかないです。
それに合わせるのが日常というものですが、歴史というスパンで見るとむなしく見えてくる時があります。
「およそ世の中に、歴史というものほどむずかしいことはない。元来、人間の知恵は未来のことまで見通すことができないから、過去のことを書いた歴史というものに鑑みて将来をも推測しようというのだが、しかるところ、この肝心の歴史が容易に信用せられないとは、実に困った次第ではないか。見なさい。幕府が倒れてからわずか30年しかたたないのに、この幕末の歴史をすら完全に伝える者が一人もいないではないか。」
太平洋戦争を経験された方はよく「時代の軽薄さ」を力説されます。
一夜明けただけで常識と言うのが180°変わってしまいましたもんね。
ていうか、中国戦線に従軍したうちのじいさんの場合は、
「現地の実情と内地で宣伝されていることがまるで違う」
戦地から帰ってくると、浦島太郎状態だったそうです(政府もマスコミも大きいのから小さいのまで嘘に次ぐ嘘をたれながしてましたもんね)。
最近でもバブルとか、あれとかこれとかそれとか、いちいちつつき上げるときりがないです。
堀江貴文さんもこんな感じにおっしゃっておりました。
「とにもかくにも、世の中の常識に深くも考えずただ追従するのは何も考えていないのと同義語」
さて、海舟に戻りましょう。
「どうも、大抵の物事は(外部からではなく)内より破れますよ。」
因果応報というやつですね。
「いつ松を植えたか、杉を植えたか、目立たないように百年の大計を立てることが必要さ。」
これでおしまい
「これでおしまい」
勝海舟、風呂上がりに脳溢血で亡くなりました。
その最後の一言です。