【小説】少年始皇帝~趙人質時代~

歴史
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始皇帝少年時代はやはりかなり悲惨だったようです。

簡単に述べると、お父さんは当時戦国中華最強国秦・昭襄王の直孫。

しかし、敵国趙へと人質に送られ、現地の人々に憎まれ、日ごろの物資にも窮乏し、殺されても不思議でない窮地は何度とありました。

そんなさなかに息子・政(後の始皇帝)が生まれ、その2年後、妻と息子政を置き去りにしたまま秦へと出奔します。

その後、母子は趙側に命を狙われ、潜伏生活があったようですし、政の母はかなりひどいいじめを受けた経験もあるようでもあります。

これはそんな苦難まっただなかの政についての自作中編小説より一節です。

【小説】少年始皇帝~趙人質時代~

政はやがて大きくなったその掌に一房の桃の実を携え、昼下がりの街路をとぼとぼと歩きゆく。ふと、目の前には少年たちが含み笑いを浮かべながら見下ろしていた。政の体は知らず背後へと駆け出した。幾つもの裏小路をただがむしゃらに、一体幾人の大人たちの傍らを過ぎ行っただろう。ただ、なるたけの腕を振り、脚で地を蹴り、荒く大きく呼吸する。あえて何も目に入らぬよう、耳にも入らぬよう、そのすべての真ん中を突っ切るようにして。息が上がり、腕が、脚が、おのずと留まりそうになる。踏み超えてくれ。思うとまた腕を振り、脚で地を蹴る。私はこれを超えてゆきたいのだ。いや、超えねばなるまい。あるいは、振り払いたい。どこまでも、まるで空を飛んでゆくように。やがて、小径から抜け、広場の光が飛び込んで来た刹那、政は自分の体が思わず無重力になるのを知った。そして、窪んだ土の上に自分がただ無様に蹲っているのを。ほどなく、少年たちが駆け込んでくる足音がけたたましく聞こえた。路地の上に一つ転がる桃の瑞々しい果肉は忽ちに粉砕され、甘い果汁と共に辺りへと飛散した。そして、ひときわ柄の大きなあの少年がこれ見よがしににたりと政を見下ろしていた。その少年が何やら甲高い号令を掛けた。すると、他の取り巻きの少年らは政の腰周りの土をこれ見よがしに手で叩き、あるいは足で踏み固め始めた(※)。政はただ身体いっぱいに身悶えた。

 やがて、その下肢が完全に土に埋まった頃合い、 少年たちはそれぞれに薄笑いを浮かべながらその手に手に即席で作られたばかりの土饅頭が握られていた 。政にはもう抗う気も起きなかった。ただ天に向かい、己の存在がそこにあるのを証明する如く、声いっぱいにして哭いたのだ。

 大柄な少年の鶴の一声で、土くれの弾丸が四方八方から一斉に飛んできた。そのいくつかが自分の体にぶつかり無機質に砕け落ちる音が妙に鮮やかに耳に障った。口腔に泥の香がじんわり広がる。やがては怨言、と唾き、と去りゆく少年たちの背中。政がおもむろに見上げると天上には強い太陽が燦々と照り輝いていた。政は力なくうなだれ、瞳を閉じた。そして、何かわからずまた瞳を開けると、そこにある幹を見つけ、抱き着いた。微風が枝ぶりの青葉を揺らしている。政は這い出ると背中を幹に寄っかけ、両脚を地に投げ出した。土の上にはぐっちゃりとつぶれた桃の実。政はその傍らでただゆっくりと息をした。

(※)政が生まれる直前に、秦趙間で長平の大戦が行われております。秦軍が圧勝し、趙軍捕虜40万を生き埋めにした、と伝わります。参考までに、今でもこの辺りから掘り出される人骨は後を絶たない、と言われます。また、いまだにこの地方では串刺しにした豆腐を油で揚げる地元名物料理が脈々と受け継がれております。豆腐は当時の秦軍総大将白起にちなんでおります。

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