
もうすでにご存じかと思いますが、カッサンドラはトロイの悲劇の王女です。
トロイ王プリアモスの娘として生まれましたが、太陽神アポロンに、
「未来を予知できるのに誰も信じてくれない」
という呪いをかけられます。
やがてトロイはギリシャ連合と開戦。
ギリシャ側の不死の英雄アキレスや、智将オデッセウス、トロイ側の勇将ヘクトルなどが入り乱れ死闘を繰り広げます。
やがて、ヘクトルが、アキレスが戦死し、戦は開戦後なお5年やまず、両軍の消耗はいよいよと募るばかり。
そんな時、ギリシャ側から・・
トロイとは?
まず、そもそもトロイと言う国家について簡単に紹介させてください。
場所は今のトルコのアジア側。
エーゲ海の近くで、ダーダネルス海峡をはさんで向こうはヨーロッパです。
もともとトロイの存在は伝説の域を出なかったのですが、19世紀後半に実業家のシュリーマンが発掘し、発見・証明。
栄えたのはB.C.2600~B.C.1200ごろ。
エーゲ海交易によって栄えたと言われます。
なお、当時のトロイについて、私は小説内でこのように表現しました。
紹介します。
私はいよいよと人の近くから遠ざかり、遠くへと近づいていこうとした。遥か天空の風に乗り、地上を見下ろす鳥のように。この母なるトロイアに広がる豊饒なる草原と森と。樹木繁る小川のせせらぎに鳥たちは謳い、羊や牛などの家畜たちは牧歌的に草を食む。小麦や葡萄、オリーブとりどりの畑に百姓たちが点々と。天をも突く屈強な壁。都城の殷賑。王城の絢爛。白い砂浜は延々と、青々とした大いなるエーゲ海にギリシャへの大小の島々が霞む。
ここは小アジアの宝石。
どこからか人が移り住んで以来何百何千年、青銅器文明によってもたらされた栄華の都。代々と人から人へ、襲い掛かってきた戦乱と大自然による破壊から何度でも立ち上がった不滅なる約束の地。
自作小説『カッサンドラ』より
【小説】カッサンドラ
ここからも自作品からの抜粋です。
登場人物
私……カッサンドラ
パリス……カッサンドラの次兄。「神に見いだされた」と称される大変な美男子。ミュケーナイの王弟メネラオスの若妻で「世界に冠する」と称えられる絶世の美女ヘレネを略奪し、大戦の端緒を開く。
父王……トロイア国王プリアモス。
ヘクトル……カッサンドラの長兄。武勇に優れるも敵将アキレスに討たれる。
アガメムノン……ギリシャ連合軍盟主
本編
ようやく五年目、ギリシャ側から和平の使者が訪れた。当然当方はこれに異を唱えるなどという理由はなく、五年越しの大勝利に城内は沸き返ったのである。ギリシャの大軍勢は一斉に退転を開始し、ようやくその最後尾が城壁から胡麻粒の群れほどに離れた時に、あちら側から目を瞠る大きさの木馬が一台雑兵らに曳かれてくる。さすがに城内にはあれは何だという不審があったが、誰かが、
「ははあ、あれは当国への此度の『和平の餞』でしょう」
やがて、一つ置き去りにされたので、
「あちらが完全に退去してからでは無礼になる。急ぎ取ってまいれ」
と父王から命が下った。が、
「待ってください」
私は異様な胸騒ぎがしたのだ。
「この戦場においてかかる仕儀。あれは城内に引き入れてはなりません」
この期において何を言うのだ。戦は終わった。戦を知らぬ婦女子如きが何を言う。
が、私は、
「ダメです。あれはなりません。当国に必ずや大いなる災いをもたらすでしょう」
そんな中、迫真の賛助の声が思いもよらぬ方角から上がった。パリスだった。
「カッサンドラの申す通り。あれは謀。謀に違いありません」
この時ばかりは私もパリスと歩調を合わせて何とかこの暴挙を止めようと議論を尽くした。が、父王はただ一言、
「かような戦はもう終わりにせねばならぬ」
私は見た。その背中にあのヘクトルの影を。かつて威厳ある父は完全に死んだ。そして、辺り一円王族、大臣、軍人、民を含める誰もの目がそう物語っていた。あの時あれだけ血を求めていたのはいったい誰だ。ギリシャ何するものぞと息巻いていたのはいったい誰だ。その挙句の果てがこの有り様とは。
木馬は着々と城に近づけられ、やがてその大きすぎる威容は大手門の頂にもつっかえ、強引に押し入れようとした結果、その頂は崩れ落ちてしまった。私はほとんど絶叫に近い形でその場に崩れ落ちた。
戦勝を疑わぬ城内の者たちはもう誰もが浮かれたち、鬨の声を上げるとともに偉大なるトロイアを謳った。歓喜の城内は堰を切ったようにどこもかしこも解放の「宴」の場と化した。そんな乱痴気騒ぎにただ沈鬱とする私に傍らから、
「こんな時だ。飲もう」
と微笑の盃を傾けてくれたのはパリスだった。
やがて夜も更け、騒ぎ疲れた誰もが寝静まった頃、あの凶悪なギリシャ兵たちは巨大に過ぎる木馬の中からついに潜伏を解き、城内の各所へと躍り出ていった。あれだけ何度と撥ね返してきた強固なる城門は開け放たれ、密かに踵を返していた篝火の大軍勢がどっと雪崩入った。城内の各所に火が放たれ、そこは阿鼻叫喚の巷となった。
偉大なるトロイアは滅んだ。
父王プリアモスは討たれ、その首はミュケーナイ本国にまで持ち帰られ晒しものにされた。後の王族、大臣、軍人、民などある者は処刑され、またある者は奴隷に身を落とされ、大半の女は慰み者になった。あのパリスは戦死したとギリシャ側では伝わっている。私はミュケーナイに連行され、盟主アガメムノンの妾に置かれたが、間もなく正妻の陰謀に遭い、落命した。